教会に集う私たちと主イエスとの間の深い信頼関係が、私たちがこの世界の中で生きてゆくことを支える力になることに思いを向けてみよう。
文明の初期から家畜化されてきた羊は、結果として単体では身を守るための要素(足の速さ、俊敏性、攻撃・防御に使える牙・角・爪など)を失ってしまった。羊が生きてゆくためには、群れを形成し、羊飼いに守られることが不可欠となった。この羊と羊飼いの信頼関係は、この世界を生きる私たちと主イエス・キリストとの関係を良く言い表している。
羊は、コルシカ島やイラン、小アジアなどの山岳地帯に生息していた野生種が紀元前7000年頃古代メソポタミア付近で家畜化されたと考えられている。現在では1000種あまりの品種があると言われ、世界では牛・豚に続く第3位の取扱量のある家畜となっている。日本においては、8世紀頃に成立した日本書紀で、推古天皇7年(599年)に百済(朝鮮半島南西部)からの朝貢物としてらくだ、ろば各1頭、白雉1羽、そして羊2頭が献上されたとあり、これが日本における羊への言及として最も古い記述となっている。しかしその後日本では気候が合わなかったためか、家畜化はほとんど進まなかった。明治期に入り、近代化が進む中、軍用毛布等の原料確保のため羊毛の国内生産の必要性が主張され、1875年に現在の千葉県成田市三里塚地区に日本初の牧羊場が作られたが、1888年に奨励政策の打ち切りにより閉鎖された。
今日の聖書は、ヨハネによる福音書の中で、イエスさまが弟子達に「わたしは○○である」と教えているお話しの一つです。ヨハネによる福音書の中には、他の福音書にあるような「たとえ話」は収録されていません。その代わりに、イエスさまがご自身のことを「わたし○○である」と言って、イエスさまと私たちの関係を譬えて教えるお話しが沢山あります。「わたしは世の光である」「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」とか、皆さんもこれまで聞いたことがあるかもしれません。今日はその中の一つ、「わたしは良い羊飼いである」というお話しです。
皆さん、羊ってどんな動物か知っていますか。人間の歴史の中では羊は大昔からよく知られていた動物でした。今から9000年前にはもう毛や脂をとるために家畜になっていたらしいです。大昔から家畜として人間に飼われてきた羊には身を守る武器になるようなものがどんどん少なくなってしまいました。羊は、馬や鹿のように速く走って逃げることが出来ません。闘うためのかぎ爪も牙もありません。角はありますが、オス同士で喧嘩する時しかほとんどつかわないそうです。役に立たないですね。群れで生活することが好きで、移動する時は、まわりの仲間に併せて動くそうです。なんだか、人間と似てるかもしれませんね。
そういうわけで、羊は守ってくれる羊飼いがいないと生きられません。餌を食べに草場に行くときは、群れが迷子にならないように羊飼いが連れて行って、また連れて帰ってこなければなりません。イエスさまは、この羊飼いと羊の関係を、ご自分と私たちの関係に喩えているのです。
ところで、たくさんの動物の飼育をしている人によると、たくさんの見た目がそっくりな動物の1匹1匹を見分けるのにはコツがあるそうです。それは1匹1匹の弱いところ、つまりこの羊は餌を食べるのが遅いなとか、この羊は脚をケガしているな、とかを良く見ておくことだそうです。そうすると、沢山の羊もその1匹1匹が良くわかるそうなのです。
そして今日の聖書では、イエスさまは「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。」と教えてくれています。つまり私たちの羊飼いであるイエスさまは、私たち一人一人の弱いところを全部わかって、一人一人を見守ってくれているのです。だからこそ、羊飼いであるイエスさまに守られて、私たちはそれぞれの命を生きることができるのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)72番「ちいさい ひつじが」、改訂版55番「ちいさいひつじが」。
羊をモチーフにしたカードを作って、なかなか会えないともだちや家族、教会の方々に送ってみましょう。
<材料>
・紙・折り紙・毛糸、綿など・クレヨン・はさみ
カードに今日の聖句「わたしは良い羊飼いである。」を書き、羊の絵やモチーフを描きましょう。毛糸や綿を使って羊を立体的に作ると、作る方も見る方も楽しくなります。
・羊を見たことがありますか?どんな特徴があるか調べてみましょう。
・羊飼いってどんな仕事でしょう?どんな特徴があるか調べてみましょう。
・聖書の中では、羊飼いはどこに登場しているでしょうか。調べてみましょう。