主イエスの祝福の言葉が、私たちを新しい世界へと押し出してゆくことに思いを向けてみよう。
エマオへの道の途中で主イエスと出会った2人は急いでエルサレムに引き返し、残りの弟子達に復活の主イエスと出会った体験を分かち合う。その時、彼らは再び復活された主イエスと出会う。一人一人にとっての「主イエスとの出会い」について誰かと分かち合う時、それはまた同時に、復活の主イエスが私たちと共におられる瞬間でもあることを、この物語は示唆している。そして、復活の主イエスに呼び掛けられたことをきっかけに、恐れと戸惑いの中にあった弟子達は、新しい命の始まりの証人として、部屋を出て新しい世界へと踏み出してゆくこととなる。
主イエスが「あなたがたに平和があるように」と語るが、この箇所の他にはヨハネ福音書の復活顕現物語(20:19,21、20:26)がある。よく似た表現としてエルサレムへの旅が始まった直後のルカ10:5で「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。」があり、そこで主イエスは弟子達に「その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。」(ルカ10:7)とも教えている。旅の目的地で復活の主に出会い、平和の言葉を与えられた弟子達であるが、今度は彼ら自身がこの世界に主の平和を伝えてゆくことが、この後に続く使徒言行録で語られることになる。
今日の聖書のお話しは、イエスさまが復活された日の夕方の出来事に戻ります。イエスさまのお墓が空だったことが知らされた後、2人の弟子が都エルサレムから去ろうとする途中で復活されたイエスさまに出会ったという知らせを伝えに戻ってきました。そして2人がイエスさまに出会って心が燃えたという話しをしているところに、イエスさまご自身がその中にやって来られたのでした。復活のイエスさまと会った弟子達はとても怖くなりました。まぁ当然ですね。そもそも弟子達は、イエスさまが捕まったとき、見棄てて逃げ出してしまったり、そんな人はしらないとしらばっくれてごまかしたりしていたのです。ですからイエスさまが弟子達のところにやってきたのは、弟子達に復讐するためだと思ったかも知れません。ところが、弟子達に向かってイエスさまが語ったのは「あなたがたに平和があるように」という言葉でした。
最初は恐れおののいていた弟子達でしたが、話しをして食事を一緒にするうちに、みんなだんだんと嬉しくなってきたのでした。イエスさまを失って、もうどうして良いかわからず途方に暮れていた弟子達でしたが、きっとこの時、エルサレムに向かって旅を始めた時、イエスさまが教えてくれたことを思い出したのでしょう。「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。」(ルカ10:5-7)。教えてくれたとおり、イエスさまは私たちのところに平和を伝えにきてくださった!イエスさまの平和のことばを聞いた弟子達は、心が燃えてくるのを感じたことでしょう。
そして今度は、弟子達自身が世界中の人々に神さまの平和を伝えていくように、イエスさまから送り出されることになりました。イエスさまの言葉は、新しい世界に出かけてゆく弟子達を守って励ましてゆくことになったのでした。「平和があなたがたにあるように」というイエスさまの言葉は今を生きる私たちにも届けられています。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)115番「イースターのあさはやく」、改訂版88番「イースターのあさはやく」。
イエス様は「あなたがたに平和があるように」といわれています。皆さんも平和について考えてみましょう。平和を作り出す人たちは、みんな神さまのこどもで、兄弟、姉妹、家族です。そんな平和を作り出す人々を、作ってみましょう。
<材料>
・長い紙・鉛筆、クレヨン、マジックなど
長い紙に、手をつないだ人たちをたくさん描いてみよう。ともだちや家族、まだ会ったことのない国の人たちを描いてみよう。
・ルカ24章とヨハネ20〜21章の話しを比べて、感想を分かち合いましょう。
・イエスさまが伝える平和ってどんなことだと思うか、話合ってみましょう。
・「あなたに平和がありますように」とお互いに祝福の言葉を交わしてみましょう。