・聖句で表現される『悔い改め』を考える機会になります。9〜11節に記されたイエスが「洗礼」に与ることと、私たちが受ける「洗礼」の違いを考えましょう。
・イエスは、洗礼を受けてから“霊”に導かれて荒れ野に移動します。避け難い状況でも、救いの成就のために、その道を歩まれます。人々に宣べ伝える“福音”は、楽しいことだけではない事を、考えてもらう機会になると思います。
・聖書では「悔い改め」の洗礼と表現されていますが、私たちが受ける洗礼は「キリストの救いがある」ことを信じ、イエスの呼びかけに応えて生きることです。イエスの洗礼に関しては、マタイ福音書の並行箇所(3:13~17)のやりとりが参考になります。
イエスさまは、大人になってから“悔い改めの洗礼”を受けます。この洗礼は、「自分のことばかり考えるのではなく、神さまのことも、他の人のことも考えて過ごします」と決心した人たちが、ヨハネさんから受けていたのと同じです。 おや?イエスさまは、神さまの独り子として生まれ、神さまのことを伝える為に歩む方です。ヨハネさんから“悔い改めの洗礼”を受ける必要はないのでは? イエスさまは、「みんなの前で、神さまのことを信じると約束するのは大切なことです。だから、洗礼を授けてください」といってヨハネさんから洗礼を受けます。
洗礼を受けたら、常に正しい道を歩めるのでしょうか?そのことを確かめる為に、霊に導かれてイエスさまは荒れ野で過ごします。いろいろな誘惑を受けても、神さまを信じる気持ちは揺るぎませんでした。私たちはどうでしょうか。誘惑に負けることもあるでしょう。「イエスさまと同じ歩みは、私たちには無理だ。」「悔い改めても、また罪に落ちるなら、どうでもいいや」と、不安になるかもしれません。そんな不安を持つ私たちに、神さまは促します。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と。イエスさまと繋がっていることを、思い出しなさいと。
“後悔”するのではなく、“悔い改め”ましょう。“後悔”は、「悔いて、後ろばかりを見続ける」ことです。“悔い改め”は、「悔いて、そこから一歩踏み出して、新しく歩み始める」ことです。イエスさまが伝えるように、神さまの良い知らせ(福音)そ信じて歩みましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版(1987年版)137番「きょうだいげんかを」、改訂版15番「きょうだいげんかを」。
I. 以下の言葉を書いた6枚の紙(カード)を隠しておく。
・時は満ち
・神の国は
・近づいた
・悔い改めて
・福音を
・信じなさい
II. 6枚の紙を集め、順番に並べてみことばを作る。
※隠し場所の地図やヒントを作ったり、チーム分けをして競争するのも楽しい。
I 洗礼を受けると、全てが綺麗になるのでしょうか?洗礼の後に、罪を犯したらどうなるのか?考えてみましょう。
II あなたにとって、良い知らせ(福音)はなんでしょうか?神様からの良い知らせ(福音)との違いはありますか?