2021年2月14日 主の変容
マコ9:2~9 王下2:1~12 2コリ4:3~6

今週の聖句

「これはわたしの愛する子。これに聞け。」
マルコによる福音書9章7節

ねらい

・イエスによる約束は旧約に記される栄光の主であると同時に、受難の主でもあることを覚える。

・自分たちの理想形だけを追い求めない。本質は一体何を示そうとしているかに目を向ける。

説教作成のヒント

・目先の喜びに気持ちを高揚させるのではなく、何のために自分たちの目の前で喜びが顕されたのかを考える。

・モーセ・エリヤ・主の変容は旧約の成就と同時に、受難に対しての話し合いもなされている。つまり、十字架によって救いが成就する事が確かめられている。それは聖句によって語られる。

豆知識

・この箇所はペトロの告白と最初の受難予告から六日の後の出来事である。

・マルコ福音書1章9節にて、イエスが神の子であることを知らされているが、ここにきて受難予告の直後に再び知らされている。弟子たちは、神の子イエスの言葉に聞き従うことが命じられている。

・礼拝するべき方が、留まってくださる場所として仮小屋が用意される。神が用意することを命じたのではなく、弟子たち(人間側)の思いによって、用意されようとしている。

説教

皆さんは、自分が立てた計画に従って行動し、予定通りに成功したなら、気持ちがいいことと考えますか。その計画が、長い時間必要とする内容だったら、とても嬉しいことだと思います。わたしたちは、計画通りであっても、計画に無かったことでも、自分の思った通りのことが起きると、そのことが「ずっと続いて欲しいなぁ」と、考えたりもします。でも、喜ぶ出来事が起こる前に、「悲しく、辛く、寂しい出来事があるよ」と聞いていたら、素直に喜べるでしょうか。楽しい出来事が目の前で起きれば、想像だけの悲しく辛いことは忘れてしまうかもしれませんね。

聖書では、イエスさまの衣服が、「白く輝いて、この世のものとは思えない白さだった」と、書いています。この書き方は、ユダヤ人にとって天使の衣を想像させる書き方です。「エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた」のですが、モーセとエリヤは旧約聖書に出てくる大人物です。ユダヤ教ではこの二人が現れる時、終末・世の終わりの日に再び来ることを信じていたので、イエス様と語る二人の登場は、神の国の実現のしるしなのです。お弟子さんは、イエス様がモーセとエリヤの二人と話しているのを見て、世の終わりが現実なんだと思ったのです。しかもイエス様の姿は真っ白く輝いて、この世の者ではない存在にも見えました。思わず嬉しくなって「仮小屋」を建てたいと言い出しました。イエス様とモーセとエリヤの三人をいつでも礼拝できるように、いつでも拝見することができるようにとの思いを持ったのでしょう。私たちも同じようなことを考えませんか?素晴らしいものを見ることができたら、いつでも見られる様にしたいと考えて、消えないようにと考えませんか?今の時代なら、携帯電話やデジタルカメラに記録して、何度でも見たいと思うかもしれませんね。でも、「これはわたしの愛する子。これに聞け。」と神様の声がしました。私たちの考えで行動するのではなく、イエス様の言葉に従いなさいと教えられます。イエス様は山を降りてから、十字架に架けられる道を歩みます。避けては通れない道です。イエス様が救い主となられるために必要な道なのです。イエス様の救いは輝かしい場面だけではなく、苦しくて辛い場面も含まれます。神様からの声は、「目の前の楽しいこと以外もあるけれども、どんな時でもイエス様と一緒に歩きなさい」といわれています。どんな時もイエス様を信じて歩めるようにお祈りしましょう。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

旧版(1987年版)120番「どんなときでも」、改訂版129番「どんなときでも」。

やってみよう

☆顔が変わるプレートを作ろう

用意するもの・・・紙皿(1人2枚)・はさみ・サインペン等

I. 2枚の紙皿にそれぞれに大きく、笑った顔、泣いた顔(おこった顔)を描く。

 (この時、2枚を大体同じ大きさに描くと良い。)

II. 外円の下から中心に向かって、まっすぐに切り込みを入れる。

III. 2枚の顔を同じ向きに重ねて切り込みからくるくると後ろ側の紙皿をスライドすると顔が変わっていくよ。

はなしてみよう

Ⅰ 大切なものを取っておきたい気持ちを持つことは良いのでしょうか?それとも持たないほうが良いのでしょうか?日常の中で時間の経過とともに変化するものもあるので、考えてみましょう。

Ⅱ 私たちはイエス様の救いを覚える時、十字架の上で死なれたことを思い出しているでしょうか。

今日の弟子たちのように、良い部分だけに目がいっていないか考えて分かち合いましょう。