神はどんな人も救いたいと招いてくださる。そのことを喜んで生きることが幸せなのだと味わう。
選ばれている聖句は、神の救いに限りがあるような印象を受けますが、「見かけた人はだれでも婚宴に連れて来なさい」(9節)のようなすべての人に対する神の招きが前提です。
神さまは誰をも呼んでくださるのに、私たちが自分の用事や都合を優先するのは、いつでもチャンスがあると考えてしまうからです。マタイでは王子のための婚宴(ルカ14章では、ある人の盛大な宴会としている)であり、それに招かれるのは生涯ただ一度です。そんな貴重なチャンスを頂いていると受け止めたいものです。「礼服」(12節)が象徴しているものは、イエス・キリストです(ガラテヤ3章27節)。そしてそれを着るとは感謝して生きる日々の歩みです。招待も礼服も恵みとして与えられています。
当時のイスラエル・パレスチナの結婚式は1週間ほど続くものであったそうです。そして招待された人には礼服も用意されており、それを着用して出席したと言われます。
王様が結婚式の準備を整えました。息子である王子とそのパートナーとの結婚のお祝いです。結婚する二人は幸せいっぱいです。二人はこれからもずっとお互いを大切にして一緒に歩むために結婚します。そのスタートに神さまのお守りをお祈りするのが結婚式です。王様はこの喜びを皆で祝いたいと招待状を送りました。けれども、招待された人たちはそれぞれ用事があると言って結婚式には来ませんでした。もうごちそうの準備もできているというのにです。王様はとても悲しくなりました。でも、なんとしても王子たちの結婚をお祝いしてあげたいと考えました。そこで町の大通りに家来を送り、結婚式用の晴れ着も用意して、見かけた人はだれでも連れてきなさいと命じました。呼ばれた人たちは驚きました。王子様の結婚式があることはうわさにきいてはいたけれど、まさか自分たちが招待されるなんて考えてもいなかったからです。自分たちの中には仕事がなくて生活に必要なお金がなくて困っている人がいるし、病気の家族のお世話で忙しくしている人がいます。嘘をついてしまって人を困らせたことのある人もいます。そんな人達は神さまから遠く離れているダメな人と考えられていたのです。でも、どんな人でも大切な一人なのだと王様は考えているのでした。それでそれぞれのために結婚式のための晴れ着も用意していました。皆、大喜びで晴れ着に着替えて、王子の結婚式の会場にでかけていきました。あれあれ?中には大通りにはいなかった家族を連れてきている人がいますよ。最近、困ったことばかり起きて元気がなかった友達を連れてきた人もいます。外国から来ていた人もいます。王様に招待していただいたから一緒に行こうよと誘われた人もたくさん来て楽しそうな顔をしています。招待にこたえて大勢の人が来てくれた様子をみて、王様はとても嬉しい気持ちでした。
神さまもこんな風に、ぜひ来てくださいとあなたを呼んでくださいます。いつでも喜んでその声にこたえたいですね。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
旧版105番「ちいさいこどもら」、改訂版7番「イェスさま きょうもわたしを」。
結婚式に招かれた人は、礼服(晴れ着)を着ることによって招いてくれた人に感謝の気持ちを表します。
今日は、お世話をしてくれたり、仲良くしてくれたり、色々なことを教えてくれたり…そんな身近な人達に「ありがとう」の気持ちを伝えましょう。
言葉や手紙やカード…方法は様々です。それを考えるのも楽しいですね。
そして、いつも大きく手を広げて私達を招き、迎えて下さる神様に、「今日もこのような恵みを与えて下さってありがとう」という気持ちを忘れず毎日を過ごしましょう。
又、周りの人に親切にすることや、困っている人に手を差しのべることも、神様に「ありがとう」を伝える方法の一つかもしれません。
いつも心に神様からの愛をいっぱいにして過ごしましょう。
神さまの招待にこたえるって、どんなことだろう。
礼服(晴れ着)を着るって、どんなことだろう。