2020年10月4日 聖霊降臨後第18主日
マタイ21:33~46 イザ5:1~7 フィリ3:4b~14

今週の聖句

「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」
マタイによる福音書21章42節

ねらい

① 神から預かったものを私物化せず、神のものとして大切にする

② イエスと十字架に至る物語として味わう

説教作成のヒント

①の場合、地球の環境保全や「持続可能でよりよい世界を目指す」(SDGs)などに触れ、神さまから預かったこの世界(恵み)を大切にしていくという流れで考えられるでしょう。

②の場合、登場人物などがたとえられているものを、それぞれ「主人」(神)、「ぶどう園」(イスラエル)、「農夫」(イスラエルの指導者)、「僕」(預言者)、「主人の息子」(イエス)と理解し、神の期待と人間の現実、加えてイエスの意味を伝えられるとよいでしょう。

豆知識

 隅の親石とは、建物を建てる時に土台となる石です。現代の建物の多くは建物全体の土台をコンクリートで作り基礎と呼びますが、和風の建物は大きな石の上に家の柱を立てました。柱の数だけ土台の石があります。石造りの建物では、たくさん積まれた石の角に当たる一番下に大きな石を置きました。その石には他の石でできている壁と壁をつなぐ役割もありました。隅の親石というとき、土台であり、壁と壁とをあわせるように、人と人とを結びあわせて支えてくだるイエスさまをイメージすることができます。

説教

イエスさまは、神さまが私たちのためにこの世界を与えてくださったことを話してくださいました。それは美味しいぶどうがたくさん実る畑のようで、神さまが働きやすいように作ってくださったものです。この畑には仲間と一緒にお世話するうれしさやぶどうが実る喜びがあり、できたぶどうを食べたり、他の人とそれを分け合う楽しみがあります。神さまはそんな世界を私たちに預けてくださいました。

でも、そこで働く人達は、だんだんたくさん実るぶどうのすべてを自分たちだけのものにしたいと考えるようになってしまいました。神さまが作ってくださった神さまのものなのに、自分のものにしたくなってしまったのでした。それでこのぶどう畑のような世界は神さまのものですよと伝えるために神さまからの送られてきた人の言うことを聞かなくなり、ついには神さまの代わりに送られたイエスさまのことも邪魔者と考えてしまいました。私たち人間は、自分の欲しい物を手に入れるためには、他の人を傷つけたり、困らせたりすることを悪いこととは思わなくなることがあります。でも、それは間違っていますね。

自分が便利に暮らすことだけを考えて、海や森が壊されても関係がないとか、食べ物を残してゴミにしてしまうこととつながっています。それは神さまがくださる優しさを捨ててしまうことと同じです。

この世界のすべての命やすべてのことは神さまのものです。そして神さまはそれをみんなで大切に分け合うことを喜んでくださいます。心からありがとうと受け止め、大切にしてきたいと思います。

イエスさまは、自分を邪魔者にする人たちによって捨てられてしまいます。私たちも自分のいらないものは簡単にゴミにしてしまおうとします。でも、イエスさは捨てられてしまうようなものが、この世界の土台となることを教えてくださいました。それは神さまからのものを独り占めしてしまうことではなくて、わけあうことでつながる道です。その道のためにイエスさまご自分を土台として私たちを支えてくださるのです。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

旧版89番「わたしたちは さかなのよう」、改訂版112番「かみさまがつくられた」。

やってみよう

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はなしてみよう

・私たちが神さまから頂いているモノやコトは何か、思いつくものをあげてみよう。

・それを私たち人間はどのようにしていますか。

・これからどうしたらよいと思いますか。