2020年9月13日 聖霊降臨後第15主日
マタイ18:21~35 創50:15~21 ロマ14:1~12

今週の聖句

「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」
マタイによる福音書18章22節

ねらい

私たちは神さまのゆるしのなかで生きています。ゆるされない自分の罪がゆるされているということを知ってはじめて、私たちは人をゆるすことへと進むことができるのです。イエスさまの十字架によって罪をゆるしてくださった神の大きな赦しの恵みを知り、その恵みの中に生きていることを伝えたいと思います。

説教作成のヒント

「ゆるし」とは単に我慢することではありません。私たちが変えられること、そこで新しい生き方へと変えられます。私たちの人生を変えるもの、私たちの世界を変えるものは一体何か。復讐の連鎖、うらみの連鎖ではありません。その連鎖から抜け出る突破口、それをイエス・キリストはお示しくださったのであり、私たちもその世界に生きるようにと促されています。

豆知識

教会・・教会はイエス・キリストの赦しによって生まれた集まりです。イエスさまは、この集まりで、赦し合いが働くことを願っておられます。それによって教会が成長し、人々に赦し合いを証しすることができるからです。

主の祈り・・イエスさまは、教会に「わたしたちの罪をお赦しください。わたしたちも、わたしたちに罪を犯す者を赦します」との祈りを与えてくださいました。主の祈りを祈るとき、教会が「赦し合いをする集まり」となっていくのです。

デナリオン・タラントン・・百デナリオンというのは、一万タラントンから比べると、六十万分の一という金額で、百デナリオンというのは三ヶ月分の給料ぐらい。

説教

王様がある家来に、とてつもない金額のお金を貸していました。1万タラントンです。1万タラントンというのは、私たちの想像を絶する額です。何回も生まれて何回も返して、ということをしない限り、返せない金額です。王様の財産をかすめとった家来でしたが、王様が言いました。「返しなさい」と言ったのです。そうすると、この家来はひれ伏して、「どうか待ってください。きっと全部お返しします」としきりに願いました。すると、家来の王様は、あわれに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやったのです。ゆるされて、よかったですね。ところが、その家来は、家に帰る途中、自分の仲間に会いました。今度は、このしもべは、その友達に百デナリ貸していたので、その人の首を締め上げて「さあ、今すぐ百デナリを返せ。」と迫ったのです。友達がまってくださいと願い出ても、それに耳を貸さず、「なに、もう少し待ってくれだと?何をねぼけたことを言っているんだ。返せなければ、牢屋にでも入っていろ。」と言って、自分の仲間を牢屋に閉じ込めてしまいました。一デナリは一日分の給料です。百デナリといえば、たかだか三ヶ月ちょっとの給料分にすぎません。彼が赦してもらった一万年分の収入にくらべたら、なんとちっぽけな額でしょうか。このしもべがしたことを知った王様は、その借金の免除を取り消し、このしもべを牢屋に閉じ込めてしまいました。このしもべが、自分の仲間のわずかな借金を赦さなかったのは、自分がどんなに大きな借金を赦されたのかをまったく分かっていなかったのです。その借金を赦してくれた主人のあわれみの心を露ほども理解していなかったのでした。たくさんゆるしてもらったはずなのに、今度はゆるすことができなかったのです。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

1987年版35番「主われを愛す」、改訂版124番「愛の主イェスは」

やってみよう

☆聖書クイズ

① 他の人の罪を何回ゆるすべきかペトロが聞いた時、最初ペトロは何回と言ったでしょう?(答え:7回)

② イエス様は、何と答えたでしょう?(答え:「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」490回まで…ではなく、何回でもという意味です)

③ 王様は何故家来に怒ったのでしょうか?(答え:王様は家来の借金をゆるしたのに、家来は仲間の借金をゆるさなかったから)

④ デナリオンもタラントンもお金の単位です。では、何デナリオンで1タラントンになるでしょう?ヒントは(大人の)聖書の後ろの方((54)ページ)にあります。(答え:6000デナリオンで1タラントン)

⑤ 主君は家来に、「わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか」と言いました。さて、(大人の)礼拝で「主よ憐れんでください」と願う祈りを何というでしょうか?(答え:「キリエ」もしくは「キリエ・エレイソン」。キリエが「主よ」、エレイソンが「憐れんでください」という意味です)

はなしてみよう

7度もゆるせば十分だと思っていたペテロや他の弟子たちは、「7の70倍」と聞いてきっと目を丸くして驚いたことでしょう。490回をゆるして、491回目には、怒るというのは本当にゆるしていたことなのでしょうか。いつまでも人をゆるさないなら、その人は過去に縛られ、過去の暗闇にいつも引きずられ、現在を生きることができません。いつも過去に縛られているからです。その結果、その人は自分の未来まで閉ざしてしまうのです。

「ゆるすこと」と「ゆるされる」ことはくっついています。