2020年6月14日 聖霊降臨後第2主日
マタイ9:35~10:8 or マタイ9:35~10:23 出19:2~8a ロマ5:1~8

今週の聖句

「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」
マタイによる福音書10章8節b

ねらい

「ただで受けた」ものを知る。「ただで受けた」ものによって、生かされていることに気づくことができる。

説教作成のヒント

神さまから「ただで受けた」ものとは何か。

豆知識

1)「ただで」と訳されているギリシャ語の名詞は、「贈り物」「(神の)賜物」という意味である。

2)神さまからの最大の贈り物は、主イエス・キリストである。

説教

渡辺純幸先生が、「ママ、おねがい」という絵本を出版しています。(実際に、そちらを読まれるといいかもしれません。こちらはあらすじです。)

「あるところに、ビヨンという男の子がいました。おもちゃ屋さんでみたじどうしゃがほしくてたまりません。でも、お金をもっていないので、買うことができません。ビヨンはあることを思いつき、お母さんに手紙を書くことにしました。その手紙には、お母さんへの請求書を書きました。『妹の着せ替え代、妹のお世話代、買い物の手伝い代。合計650円」。これで、あのおもちゃが買えます。お昼ご飯のとき、ビヨンはお母さんのお皿のところに、そっとその手紙を置きました。お母さんは、その手紙を見つけると、封を開けずそのままポケットに入れました。

夕ご飯のとき、ビヨンのお皿のところに二つの封筒が置いてありました。一つには請求した650円。もう一つの封筒には、お母さんからビヨンへの請求書が入っていました。『ビヨンのご飯代0円、洗濯代0円、掃除代0円、食事の後片付け代0円、病気の世話代0円、おやつ代0円、合計0円』。

お母さんの気持ちがわかったビヨンは、お金の入った封筒をお母さんに返し、二度と請求書を書くことはありませんでした。」

この小さなお話から私たちはいろいろなことを教えられています。その中で今日は「ただで受けた」ということに目を向けたいと思います。ビヨンはおもちゃを買うために、お金が必要でした。そこで、日頃妹のお世話をしていることなどをお金にしようと考え、請求書を書きました。しかしビヨンはかえって、自分が「ただで」いろいろなものを受けていることを知ったのでした。

私たちも、おうちの人や先生などいろいろな人から「ただで受けて」いることがたくさんあります。そして、何よりも神さまから「ただで受けて」いるものがあるのです。この「ただ」と言われていることは、「プレゼント」ということです。神さまからいただいたたくさんのプレゼントによって、私たちはみんな生かされています。そして、最大のプレゼントは、イエスさまです。イエスさまによっていただいた、神さまの愛を受け取った私たちですから、誰かにも分けることができるのです。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□45番、改訂版52番「しゅイェスは でしたちを」

やってみよう

☆十二弟子について学ぼう

・お弟子さんの名前を覚えましょう。 (マタイによる福音書10章1-4節)

・名前から想像してお弟子さんの顔を描いてみましょう。

はなしてみよう

1)ただで受けたものをあげてみよう。(命、時間などなど)

2)どうすれば、ただで与えることができるか、考えてみよう。