・聖書は、十字架を前にされたイエスの祈りである。弟子たちを「この上なく愛し抜かれた」(ヨハネ13.1)イエスは、残される弟子たちのために祈られた。このイエスの愛を伝えたい。
・日課からイエスが神に願っておられる部分だけを抜き取ると「子に栄光を与えてください」(1)、「わたしに栄光を与えてください」(5)、「彼らのためにお願いします」(9)、「彼らを守ってください」(11)である。栄光を与えるということは、ここでは十字架による救いの業を成し遂げてくださいということで、神の愛が世に示されることが、栄光が現わされることだと考えてよいであろう。そして残される弟子たちの信仰が守られるように(ルカ22.32参照)という祈りである。
・ヨハネの福音書はイエスの十字架の時を「栄光」(他に12.23)と言う。十字架をとおして神の愛が世に示されることが神の栄光だということを考えてよいであろう。
・「永遠の命」は、神とイエスを知ることだと言われている。それは神とイエスを知識と知るだけでなく、むしろ神とイエスが愛なる方であり、その愛が自分に注がれていることを知ることだと考えるべきである。イエスが教えられる永遠の命とは、単に永遠に続く命ではなく永遠なる神の愛をいつまでも生きる命なのである。
・マタイ(26.36-46)、マルコ(14.32-42)、ルカ(22.39-46)の三つの福音書は十字架を前にしたイエスがゲツセマネの園で神に祈られたことを記している。その祈りは「御心に適うことが行われるように」という祈りであった。
・ヨハネの福音書にはゲツセマネの園での祈りはないが、その前になされた弟子たちとの最期の食事での終わりの祈りが記されている。
イエス様はいつも神様にお祈りをしていました。十字架にかかられる前の夜も、お弟子さんたちと一緒に夜の食事をして、その食事の終わりの時に祈られました。残されるお弟子さんたちのために祈られました。イエス様は「お弟子たちは神様が言われたことを守りました。お弟子さんたちを守ってください」とお祈りをしました。聖書にはイエス様のお弟子さんたちのことがいろいろと書かれています。その箇所を読んでいても、お弟子さんたちが神様の言葉を守ったとは思えません。イエス様が教えられたことが分からなかったり、繰り返し失敗をしたり、イエス様に叱られたりしたことが書かれています。それでも「お弟子さんたちは神様の言われたことを守りました」とお祈りをされたのです。それはお弟子さんたちが、イエス様が大好きで、イエス様といつも一緒にいたいと思っていたからです。思っていただけで、この後イエス様を十字架につけようとして大勢に人々がイエス様を捕まえに来たとき、お弟子さんたちはイエス様を置いて逃げてしまいました。けれども、イエス様はそのお弟子さんたちの気持ちを大事にしてくださったんだね。だからイエス様は「神様が言われたことを守りました」とお祈りしてくださったのです。そしてお弟子さんたちの弱さを知っていたから「お弟子さんたちを守ってください」とお祈りしてくださったんだね。
私たちが、イエス様のことが大好きでいつもイエス様と一緒にいたいと思っているならば、イエス様はそのことをとても喜んでくださいます。神様が私たちのことを守ってくださるように私たちのために祈っていてくださいます。そのことを忘れないで私たちもいつもお祈りをしたいと思います。
イエス様が私たちのことを祈ってくださっているように、私たちもイエス様のために、また家族やお友だちのためにお祈りをしたいと思います。「イエス様がみんなのことを大好きだということを、みんなも知ることができますように。困っている人が助けられますように。そのために私にイエス様のお手伝いができますように」と祈りたいと思います。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
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改訂版16