・イエスは、私たちに命を与えるために羊の囲いの門となってくださり、私たちの私たちを守り、養っていてくださることを伝えたい。
・続く11節でイエスはご自分を「良い羊飼い」と言われ、この個所では「羊の門」と言われる。しかし、この二つは別のことではなく、羊を守り、養い、命を与えるために、時には羊飼いのように、時には羊の門として私たちに関わってくださるということである。
・日課である1~10節の中でも羊に対する羊飼いの関りが記されており、羊飼いであるイエスを伝えてもよいが、子どもたちにイエスが羊飼いのなのか、羊の囲いの門なのか、混乱しないように注意が必要である。
・神とその民を羊飼いとその羊に例えることは詩編23編やイザヤ40.11などに記されている。イエスは「わたしには・・・ほかの羊もいる」と言われた。マタイ28.16やマルコ16.15にあるイエスの世界への伝道命令を考えるなら、「ほかの羊」とは異邦人のことで、イエスはご自身を世界の人々をご自分の羊と考えておられたのである。
・羊の囲いとは、悪天候の時や夜に羊を入れるために石や茨で作られた囲いのこと。
・羊の門は、羊の囲いの門のことで、門が仮小屋になっていて、羊飼いがそこで寝たり、門に羊飼いが横たわり、自らが戸となることもあったようである。そのような意味で、羊飼いであり、羊の門であるイエスを伝えてよいであろう。
・飼っている羊の一匹一匹の特徴やその名前を覚えている羊飼いもいるという。また、羊も自分の羊飼いの声を知っていて、その羊飼いに従うという。
外国を旅した人のこんな話を読んだことがあります。ある草原に小さな池があり、そこは羊たちの水飲み場になっていました。羊飼いが何十匹という羊を連れてその水飲み場にやって来ました。少しして別の羊飼いがまた何十匹という羊を連れてその水飲み場にやって来ました。また少しして別の羊飼いが同じように何十匹という羊を連れてその水のみ場に来たのです。水飲み場は三人の羊飼いが連れて来たたくさんの羊で入り乱れています。旅人は、どの羊がどの羊飼いの羊か分からなくなってしまったけれど、どうするのだろうと思いながら見ていました。しばらくすると羊飼いたちはそれぞれ水飲み場から別々の方向に離れていきました。そして、それぞれの羊飼いが声をあげました。すると入り乱れていた羊たちは、自分の羊飼いの方へ動き出したというのです。羊たちは、自分の羊飼いの声を聞き分けて、それぞれ自分の羊飼いのところに集まっていったのです。羊は自分の羊飼いの声を知っていて、その声を聞き分けることができるのだそうです。
また、こんな話もあります。羊飼いは、羊のために「羊の囲い」を作ります。石を積んだり、とげのある茨を柵にしたりして作るそうです。羊飼いは、夜になると囲いの入り口から羊たちを中に入れます。羊を盗みに来る羊泥棒や、羊を食べにくる狼から羊を守るためです。そして、すべての羊たちを囲いの中に入れると、羊飼いは囲いの入り口に横たわって夜を過ごします。羊飼いが、羊の囲いの門になって羊泥棒や野の獣から羊を守るのです。
イエス様は、私たちの羊飼いであり、羊の囲いの門です。「あれ? 水飲み場で羊飼いの声を聞くようにイエス様の声を聞いたことはないよ」とか、「夜は羊の囲いの中でなくて、お家の布団の中で寝ているよ」と思うかもしれません。けれどもイエス様は私たちのことを大切に思っていてくださり、いつも私たちに呼びかけてくださっています。イエス様のすぐそばに私たちのいる場所を作っていてくださり、ご自分の命を捨ててでも私たちを守ってくださると約束してくださっているのです。私たちのことが大好きでいてくださるイエス様を私たちも大好きでいるということが、イエス様の声を聞いているということです。イエス様のことをいつも覚えていることがイエス様の囲いの中にいることです。どんな時も安心してイエス様の声を聞いていたいと思います。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
53
改訂版119
スケッチブックかみことばノートを用意
羊という漢字は羊の姿から作られた象形文字 です(角のある頭と四本の足と尾)
一人の羊飼(君)のもとに集まる羊たちを「群」と 呼びました。
捧げものにする時は、その羊達の 中の一番大きなりっぱな羊をえらびました。それから美しいということば(漢字)ができまし た。 羊、群、美など羊に深く関係のある字がたくさんあります。書いてみましょう。
・イエス様は私たちの羊飼いです。だけどイエス様は弟子のペトロに私の羊を飼いなさい(ヨハネ21.15以下)と言われたんだ。それはどういうことかな?
・イエス様の声を聞いたことがあるかな? イエス様が言われていることを私たちはどうしたら知ることができるかな?