2020年4月26日 復活節第3主日
ルカ24:13-35 使徒2:14a,36-41 1ペトロ1:17-23

今週の聖句

道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか
ルカによる福音書24章32節

ねらい

・希望は、思いがけない方向から来ます。私たちが背を向けていた方向から来るのです。

・み言葉について語り合うことは、落ちこんでいるときの喜びとなります。

説教作成のヒント

・二人の弟子は、一人はクレオパという名前が出ていますが、もう一人の名前は出てきません。彼らは、イエス様が十字架に掛かって死んでしまったことに失望し、エマオへと歩いていました。積極的にどこかへ行こうと思っていたわけでもなく、「イエス様こそ神の子だと思ってついてきたけど、彼は十字架で死んでしまった。これから私はどうしよう」という気持ちだったと思います。

・復活したイエス様は、二人の「後ろから」近づいてきます。二人が向かって行く先ではなく、むしろ背を向けて去って行こうとしているところからイエス様はやってきて、問いかけます

豆知識

・ユダヤ人で、エマニュエル・レヴィナス(1906年-1995年)という人がいます。この人は第二次世界大戦を経験し、ファリサイ派(新約聖書でイエス様と論争しているファリサイ派です)としての信仰を持っておられ、主にフランスで著述活動を行ないました。第二次世界大戦後、フランスに住むユダヤ人の若者たちの間では「神がいるのであれば、なぜ戦争が起こり、自分たちは迫害されなければならなかったんだ。神を信じていても仕方がない」というムードがただよっていました。レヴィナス自身、ホロコーストで家族を殺され、自分だけが生き残りました。しかしレヴィナスは、このような「神はいないと思える状況」においてこそ、人には神を信じることが大切だと説き、戦後のフランスにおける若者の教育活動に励みました。聖書を読むことは、失望に陥ったときや危機的な状況が起きているときに、死活的に必要だとレヴィナスは説きました。

・今日の聖書箇所で登場する弟子たちもまた、失望に沈んでいるときに、イエス様から語りかけられ、そのやり取りの中で心が燃える体験をしたのです。それは、弟子たちが自力で心を奮い立たせたのではなく、イエス様の方から働きかけてくださったことにより起こったのです。

・食事のときにパンを裂くのは、その食事の主人の役割でした。ここでイエス様は二人に招かれているゲストの立場なので、パンを裂くのは本来二人の弟子のどちらかの役割でした。ところが、パンを裂いているのはイエス様なのです。これは、イエス様がこの場における主(人)であり、復活した主であることを表しています。

・今日の話の流れは、聖餐礼拝の流れと似ています。復活したイエス様が弟子たちのもとに現れ、言葉をかけ、パンを裂いて渡し、それを受け取った人々は他の人々のもとへと派遣される。そして、イエスは復活したと宣べ伝える、という流れです。

・ルカ24章34節の「シモン」は、漁師であった「シモン・ペトロ」です(ルカ5章)。

説教

復活したイエス様が、二人のお弟子さんのもとに現れました。お弟子さんたちは、イエス様が死んでがっかりして、エマオという村へと、とぼとぼ歩いていました。すると後ろからイエス様がやってきて、「君たちは何の話をしているの?」と訊いたのです。なぜか二人には、そのお方が復活したイエス様だとは分かりませんでした。二人は答えて、「最近十字架で死んだ、ナザレのイエスのことを、あなたは知らないのですか? こんなに有名な出来事なのに」と言います。三人は並んで歩き、イエス様は死んだけど、遺体がなくなって、復活したという噂が流れていると話します。するとイエス様は、「何を言っているんだ、そういうことはキリストの身に起こると、前からあなたたちは聞かされていたじゃないか。聖書にだってこう書いてあるだろう」と説明をしてくださいました。二人とも聞いているうちに夢中になり、悲しい気持ちがどこかへ行ってしまいました。

もっと話をしたいと思った彼らは、今晩は同じ宿に泊まりましょうと誘い、ご飯も一緒に食べることになりました。食事の時、イエス様がパンを裂いて二人に渡すと、二人の眼が開け「あっ、この人ってイエス様じゃないか」と気付きます。ところがその瞬間に、イエス様は見えなくなってしまいました。不思議けれど、このことをみんなに知らせたい二人は、急いで来た道を引き返し、エルサレムに戻ります。そこに集まっていた仲間たちと「本当に主は復活して、現れた」と喜び合ったんだ。

 復活したイエス様は、落ちこんでいる人のところに来て、声をかけたり、ご飯を一緒に食べたり、忙しそうだね。イエス様自身も十字架にかかって大変だったのに、イエス様は落ちこんでいる人たちのところに現れて、その人たちを励まし、大切にしてくれるんだ。復活したイエス様と出会った人は、心が燃える体験をするんだ。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

115

改訂版 88

やってみよう

☆燃える心を書こう

<材料>

・色画用紙(赤)

・クレヨン、マジック

・ハサミ

お弟子さんたちはイエス様からお話を聞いたとき「心が燃えていた」と話しています。皆さんも心が燃えることを考えて見ましょう。

そして色画用紙(赤)を炎の形に切って、そこに自分の心が燃えることを書いてみましょう。

①色画用紙(赤)に炎の絵を描き、切り取ります。

②自分の心が燃えることを書きます。話してみよう

・話した時、なぜ2人の「心は燃えた」のでしょうか。

・「心が燃えた」らどんな風にしたくなるでしょうか。

はなしてみよう

・とぼとぼ歩くときって、どんなときでしょうか。

・逆に「心が燃えて」いるときって、どんなときでしょうか。

・今日の物語は、礼拝と似ているところがないでしょうか。

・今日の物語では、イエス様がパンを裂いてくださったとき、「二人の眼が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」とあります。眼が開けたのだから、復活したイエス様のことがよく見えるようになりそうなのに、その姿が見えなくなったのは、どういうことなんだろう。イエス様のこと以外で、こういうことって私たちの生活であるかな?