ここに示されている事がら一つひとつにイエス様が寄り添い、思いを一つにして下さり、共にいる神様の大きな恵みで守られていることを伝える。
・イエス様が語る「幸い」とは、一つとして何も満たされていない状態です。しかしながら、このことを満たしてくださる方を私たちは知っています。それは、「インマヌエル(神、共にいる」という方が私たちと共に在るからです。
・「幸い」とは、ギリシャ語では「祝福された」となります。受け身です。つまり、それは外から来る事がらです。それをお与えになるのは神様です。
・「報い」とはギリシャ語では「賃金」という意味。キリスト教における「報い」「賃金」とは、この世のものではなく、御国において受け継ぐものです。
・以上の二つの言葉から今、辛い、悲しい、寂しい現実を生きなければならないかもしれない。神様の御心を行うがゆえに白目で見られ、恥の生涯かもしれない、迫害されるかもしれない人たちに神様は「幸い」「祝福」を贈ってくださるという約束なのです。
・生きる中で抱える思いを共にしてくださる方が居られ、報いてくださり、祝福で満たしてくださる方が在るということを伝えられたら良いのではないでしょうか。
マタイ5章から山上の垂訓または説教と呼ばれているイエス様の教えが語られています。
十戒がシナイ山で与えられたように、この説教も山の上で語られていることからも、十戒に並ぶ大切な教えであり、神様が新しい教えとして与えてくださった御ことばとして受け取っていくことが大切です。
その役割として旧約の民が十戒を信仰生活の基として生きたように、この与えられた新しい教えを、自分自身の信仰生活(生き方)と照らし合わせて考えることが大切です。