・待降節の始まりにあたって、心の中にイエス様をお迎えする準備をする。
・キリスト教会では伝統的にこの季節、二つの「到来」を意識してきた。ひとつは「イエスの降誕」だが、もう一つは「終末」、世の終わりのときにイエスが再び来られるという「到来(再臨)」である。
・「思いがけない時に来る」と言われているように、終末は明日来るかもしれないし、何十年後、何千年後かもしれない。「いつ来るか」「その日が来たらどうしよう」などという考え方に囚われるのは現実的ではない。「終末」を恐れて不安に囚われるのではなく、いつ神さまの前に出てもよいように、今を大切に生きることを考えるべきである。
・世の中は、「楽しいクリスマス」に目が行きがちである。もちろん子どもたちの「クリスマスを楽しみに待つ」という経験を大切にしたい。しかしツリーの飾りつけなどの外的な準備だけではなく、自分自身をととのえることもアドベントの大切な準備である。
・「アドベント(待降節)」という言葉は、「到来」を意味するラテン語からきている。「待つ」側面が強調されやすいが、本来、神から到来する恵みの方に重きを置いた言葉である。同じ語源の言葉に「アドベンチャー」がある。
今日から、待降節です。ろうそくが4本(教会によっては4本+真ん中の一本)立てられた、アドベントクランツも飾られましたね。そのうち1本に、今日は火をともします。これから毎週、一本ずつ火のついたろうそくが増えていきます。全部のろうそくに火がついたら、クリスマスです。これから、クリスマスまでカウントダウンをしていきましょう。
このクリスマスの前の四週間を、「アドベント」と言います。意味は、「こちらにやってくる」という意味です。誰がやってくるんでしょう?もちろん、イエス様です。イエス様は今から2000年前に、神さまのところからこの世界に、小さな赤ちゃんとしてやってきてくださいました。わたしたちも、そのイエス様をいま、お迎えする準備をします。でも、どうやって準備をしたらいいのでしょう。
靴屋のマルチンというお話を知っていますか。マルチンは、働き者の靴屋でしたが、およめさんも子供もなくなってしまって、悲しい気持ちで暮らしていました。マルチンは神さまに、「本当に神さまがいるんだったら、わたしの所に来てください」と願います。すると、あるとき声が聞こえたのです。「マルチン、明日、あなたのところに行きますよ」という声でした。神さまの声かもしれない、そう思ったマルチンは、神さまをもてなす準備をします。でも、神さまはいつ来られるのかわかりません。いつ神さまが来てくださるかなあと外を眺めている間に、マルチンはいろいろな人と出会います。雪かきをしているおじいさんに、お茶を飲ませてあげたり、赤ちゃんを抱いて寒そうにしている女の人にごはんを渡したり、おなかが減ってリンゴを泥棒してしまった男の子に注意をして、でもそのリンゴの代金を払ってあげたり。そんなことをしている間に、一日が終わってしまいました。神さま、来なかったなあ、と思っていると、その夜、神さまが「今日はわたしに親切にしてくれてありがとう」と言われるのです。「ええっ、いつ来られたのですか!」マルチンはびっくりしました。
実は、雪かきをして凍えていたおじいさん、赤ちゃんを抱えて困っていた女の人、おなかをすかせていた男の子。そんなふうにマルチンが一日親切にした人たちと、実は神さまが一緒にいらっしゃったというのです。
このマルチンさんのお話のように、イエス様は、突然わたしたちのところにいらっしゃることがある、と今日の聖書は教えてくれています。いつイエス様が来てくださってもいいように、どんな姿で来てくださってもいいように、これからクリスマスまで、神さまのお話を聞きながら、イエス様をお迎えする準備をしていきたいと思います。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□60番 「かみよ わたしの」
□改訂97番 「うつくしいあさも」
アドベントクランツやアドベントカレンダーを作ろう
・100円ショップなどで売っているひと月分のポケットの付いた壁掛けなどを用意して、各ポケットに聖句を書いたカードや飴などのお菓子を入れてクリスマスを楽しみに待つ。
・大きさの違う箱を4つ用意し、待降節の週にひとつずつ箱を開けていく(箱の中身は聖句カードやお菓子など何でもよい)。
開けた箱を全部重ねるとクリスマスツリーになる。
・イエス様をお迎えするために、どんな準備をしたらよいですか。飾りつけなどの準備と、心や生活の準備の両方について、話し合ってみましょう。