わたしたちは神さまの愛によって生きていることを覚える。弱さ(罪)の中にある私たちを、罪から救い、神さまに対して生きる者とするために、神さまは独り子イエス様をお送りくださったことを覚えたい。イエス様とつながった者はイエス様の愛によって生きる。
イエス様が十字架につけられる数日前、ユダヤ当局の祭司長、律法学者たちが、何とかイエス様の尻尾を捕まえようと、あれこれ難題をふっかけた三つ目の議論。議論そのもの、批判に答えるよりも、今生きているすべての人に神さまの教えを伝えている。
『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。…申命記25:5-10節の規定を要約したもの。
モーセも『柴』の個所…出エジプト3:1-4:17
「はらぺこあおむし」というお話があります。日曜日の朝に生まれたあおむしが月曜日にはりんごを、火曜日には梨、水曜日にはすもも、木曜日にはいちご、金曜日にはオレンジ、そして土曜日にはチョコレートケーキとアイスクリームとピクルスとチーズとサラミとぺろぺろキャンディーとさくらんぼパイとソーセージとカップケーキとすいかを食べました。でも、土曜日には食べ過ぎでお腹を壊してしまいますが、やがてさなぎになり、最後には美しい蝶へと変身していく物語です。くいしんぼうなはらぺこあおむしですが、さなぎにくるまる前にはたくさんのものを食べて栄養を取りました。さなぎの中に入ってはまるで死んだようになって、食べも飲みもしませんでした。それから美しい蝶になりましたが、その世界は今までとは全然違う世界でした。葉っぱの上だけではなく、自由に空を飛ぶことができます。あおむしだった頃には想像することもできない世界が拡がっていました。きっと今までとは違う新しい命に生きている。そんな風に感じたかもしれません。
今日の福音でイエス様は「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」と主張されます。これは死んだ者を見捨てる、価値がないと見なすということではなく、みことばが今を生きる者を生かすものであり、この世で死んだような状態にある者を生かすとも言えるでしょう。イエス様からすれば人のこの世での停滞も死も同じような眠りに見えるのかもしれませんが、その眠りから起こし、新しい命に生かすとイエス様は約束してくださっているのでしょう。イエス様に論争を仕掛けてきた人たちを否定するのではなく、分からないことよりも、今を見つめることの大切さを伝えるのです。復活、新しい命に生きるとは落ちた葉っぱが浮いて木にくっつくことではありません。アオムシがさなぎになって蝶になっていくようなものです。命は続いています。先のことに不安を抱えるのではなく、希望を持って、いつも大きな愛をもって導いてくださる方に委ね、歩みましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□90番 「うたいましょう」
□改訂126番 「うたいましょう」
<用意するもの>
画用紙(人数分)・色マジック類・もちろん聖書
①ゴールを天国にして、聖書の出来事を使って、(日常生活の出来事もOK!)自由にすごろくを作ってみよう。ポイント(例)
・サドカイ派の人たちがイエス様に問答した。1回休み
・神さまは、子ども達を祝福した。3つすすむ。
・「すべての人は、神によって生きている」とイエス様が言われた。5つすすむ。
・寝坊して、教会学校に遅刻した。1つもどる。
・兄弟げんかをした。3つもどる。
※時間があれば、コマも作って、すごろくで遊んでみよう
・この世の終わりって考えたことある?もし来るならどうやって終わると思う?
・生きることが大変と思ったことってある?