*宗教改革福音書の日課は3種類あり、その1種類を掲載しています。
・宗教改革とマルティン・ルターを知る
・自分の持ち物や力ではなく、神様の言葉に頼って生きることの大切さを知る。
・天の「国」は「支配」とも訳せる。
・「貧しさ」は一般的に私たちが考えるような「不足している」程度のものではなく、自分には何も誇れるものがないという極限の貧しさのこと。
・キリスト者であってもなくても、自己弁護は誰しもにとって最も得意とすることである。ルターは悔い改めの定義に「自己糾弾」という言葉を使った。自分を甘やかし守るようなものをすべて取り除いてしまうことこそが悔い改めであると言ったのである。
・神の前で自分自身すら誇らない貧しさに満たされるときにこそ、かえって神の支配によって自分を確立させられることになる。
当時絶対的な権力を持っていた教皇たちが言うことは何も間違いがないと信じられていて、誰もそれについて語ることはなかった。
ルターは当時カトリックの司祭だったが、召喚されたヴォルムスの国会喚問において教皇たちを「彼らはしばしば誤っていた」とはっきり言い表し「私の良心は神の言葉に捉えられています。私には取り消すことはできません」と言い切ったのである。たとえそのような振る舞いが、彼が持っていた全てのものを失わせ、命すらも危機にさらすことが明らかであったとしてもである。彼は神の前に自らを全くの貧しい者として投げ出した。それゆえにみ言葉を通して揺るがぬ心を与えられたのである。
ルーテル教会って、実はたった一人の人が「なんで?」って言った言葉から始まったんです。その言葉を言ったのは、マルティン・ルター、という人でした。
ルターさんが生きていた時、教皇っていう偉い先生たちがいました。ルターさんはたくさん勉強をしていくうちに、聖書に書いてあることと、偉い先生たちの言っていることが違うことに気が付きました。「なんで?」ってルターさんは思ったんです。
でも、誰もそんなこと言いません。先生が言ってるんだから間違いないって皆は言うし、「なんで?」なんて言ったら、先生からすごく怒られてしまうからです。
みんなももしかしたら、なんで?って思うこと、たくさんあるかもしれません。
たとえば、とっても悲しいことだけど、だれかが仲間外れにされていても、皆知らないふりをしてしまうことがあるのです。
その子に関わったら自分まで仲間はずれにされちゃうって思ってしまって、誰も助けられなくなってしまうからです。でも、おかしいよね。だからみんな、なんで?って思う。でも、自分が大事だから、その一言が言えなくなってしまうんです。
でも、そこでルターさんは言いました。なんで?って。
おかしいことはちゃんと「なんで?」って聞いていくことが大事だと、たくさん聖書を読んでわかったからです。自分がどんなに怒られたって、聖書に書いてあることのほうが正しいって、ちゃんと言ったんです。
ルターさんがしたのは、聖書の中でイエス様がしたことと同じことでした。神様なら、こんなことしない。神様だったら、こうする。そう聖書に書いてあるからこそ、間違った人に「なんで?」って言い続けていくことができました。だから、私たちはいつも、神様ならどう考えるだろうってことを一番に考えてみてほしいと思います。
神様は正しいだけではありません。みんなを大好きでいるし、必ず一緒にいてくれます。
誰かがひとりぼっちにされているとき。皆から見て見ぬふりをされているとき。こんなの間違ってるって思う時。ルターさんみたいに、神様と一緒に、私たちに何が出来るのかを考え続けていきましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□4番 「けさもわたしの」
□改訂115番 「この花のように」
<用意する物>(厚紙で作ったお金・・・みんなで作ってもよい)
①教会にはいろんな人が(働いている)いるけどどんな人いる?「牧師さん」「お昼ごはんを作っているおばさん」「教会学校を手伝ってくれるお兄さんお姉さん」「玄関を掃いてくれたおばあちゃん」「門の所の木の枝を切っていたおじいちゃん」と子ども達に言ってもらう。
②朝から教会で働いている人にお小遣いをあげてこよう。それそれお金を手に働きに対して賃金を支払う。
③前もって教会にいる方に賃金をもらったら「こうするからもっとお金ちょうだい」とお金儲けの為の演技をしてもらい賃金を沢山貰うように頼んでおく
④お金を配り終わった子を集め、お金をもらった大人も呼ぶ。お金をもらった大人同士で貰った金額の事で喧嘩をしてもらう。
⑤いつも仲良く教会のお仕事している人達がお金を儲けたとたん喧嘩になったね。どうして?なんでいつもお金貰わないで働いているの?
⑥信徒の一人に神様の御用の為に働くことが嬉しいのだよという話をしていただく。
「商売の家としてはならない」とおっしゃるイエス様。では、どのような神殿(教会)であれば良いと思われたのでしょうか。
私達はどのような教会を作っていけばよいでしょうか。