ルカによる福音書18章7節
・必ず祈りを聞き届けてくださる神様を信じ、あきらめず祈り続けることを教える。
・信仰によって押し出された先に、それは祈りとなる。
・18章1節にあげられていることがたとえが語る中心的なポイントである。神は祈り求める者の声を必ず聞き届けてくださる、それゆえに私たちも絶えず祈ることを勧められている。
・「不正な裁判官」という表現は「不正にまみれた富(ルカ16:1以下)」と同様のものであり、「この世に属している」という意味。それに対し、神はイスラエルに対して正義と公正な裁判官として臨まれる。
・当時の裁判官は陪審員が付けられず、それゆえ苦情を公正かつ公平に聞く責任を課せられていた(申命記1:16-17参照)
・また、やもめたちの世話も社会的に重要視されていた。(やもめや孤児や外国人を典型とする)困窮した人々への配慮は、イスラエル人がエジプトで奴隷にされていたときに彼らに示された神の憐みを根拠にしている(申命記24:17-18)。
聖書がみんなに一番伝えたいことってなんだと思う?
こんなにたくさんの言葉を使って、色んな人がいろんなことを言っているんだけど、聖書のどこを開いても必ず書いてあること。たった一言で、この本がみんなに一番伝えたいことってなんだろう。
それはね、神様は必ずいる、っていうことなんだ。
なーんだ、って思った? そんなこと知ってるよってみんなは言うかもしれないね。でも、とってもさびしいことに、みんながオトナになればなるほど、周りにいる人たちは、神様なんかいないって言う人ばっかりになっていくんだ。
もし、友達が泣いていたら、みんなならどうする? もし、友達が病気でお休みしていたら。友達がひとりぼっちになって、さびしい思いをしていたら。
きっとみんなは、その友達のところにいって「大丈夫?」って言ってあげるかもしれない。ひとりぼっちの友達に、「わたしが一緒だよ」って、言ってあげるんじゃないかな。
きっと友達って、そういう関係のことを言うんじゃないかなって思う。
イエス様は、神様ってそういう人だよってお話をしてくれたんだ。
みんながひとりぼっちだって感じる時にも、周りがみんな神様なんかいないっていう人ばっかりになっても、絶対に神様はいなくならない。絶対にみんなのことを見捨てない。どこにいたって、いつも一緒にいてくれる。つらいことも、うれしいことも、全部聞いてくれる、そんな方なんだって、イエス様は伝えたかったんだ。
だから、聖書はどこを開いても、「神様はいつもみんなと一緒にいる」ってことを、いろんな人がお話してくれている本なんだ。
みんなはいつも、今日あったことを誰に話すかな。友達かもしれないし、お母さんかもしれない。でも、神様にもお話してほしい。神様はいつだってみんなのお話を聞くのを楽しみにしているよ。
神様とのお話の仕方は知ってるね。手を合わせて、お祈りをしよう。
友達にお話しするみたいに、呼びかけてみよう。
「神様、今日はね……」って。
きっと神様は、みんながしてくれる話を、ぜんぶ聞いてくれている。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□10番 「ことりたちは」
□改訂10番 「ことりたちは」
<用意する物> ホワイトボード又は紙に今日の聖句を書いておく マーカー又はペン
①今日の聖書の言葉ちょっと難しいね。反対言葉にするとどんな意味になるかを初めに考えたい と思います。
②ボードや紙を使って反対の言葉に書き換える作業を子ども達と一緒におこなっていく。
③昼も夜も叫びもとめていない選ばれないひとたちのために裁きを行い、彼らをいつまでもほ うっておく。え~?余計にわからなくなった・・・?。なんだか神さまってひどいお方のよう な意味になったね。反対言葉だから神さまってひどいお方じゃないってこと。
④みんなも知っている通り神さまはわたし達の見方だよね。神さまは諦めず、信じて祈っている人を知らんぷりしないよってことをいっているんだ。
⑤今から反対言葉を使って会話して遊んじゃおう!
ex:「今日ぼくね、教会に行かずに牧師先生に褒められなかったんだ」「それはかなしいね」「今から何する?」「教会で遊ばない」・・・など、なんでも反対言葉にしてみよう!
やもめの人は大変なことに巻き込まれ、裁判官に助けを求めました。皆さんは誰かに助けてほしいと思うことがありますか。そういう時は、どのようにして解決しますか。