2019年9月8日 聖霊降臨後第13主日
ルカ14:25-33 申命記29:1-8 フィレモン1-25

今週の聖句

自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。
ルカによる福音書14章27節

ねらい

自分の人生に関わる全てのものを、イエスさまも一緒に背負ってくださること覚えて、安心して日々を過ごしていきましょう。

説教作成のヒント

「憎む」と訳された言葉は「より少なく愛する」という意味であり、家族や友人、もはや自分の命よりも、神さまを一番愛していくことの大切さを伝えようとしています。

豆知識

「わたしの弟子ではありえない」という言い方に含まれているのは、弟子に「なる」ための条件ではなく、弟子で「あり続ける」ことの条件です。信仰者としての生き方について問われています。

「塔を建てる」というのは、町を守るための砦や、ぶどう園を侵入者から守るための見張りの塔など、生活に必要な塔を建てるという話です。当時は町に塔を建てるのが一般的でした。

説教

 イエスさまは「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」と言いました。何だか怖い言葉ですね。親に「遊んでばかりいるんじゃない」とか「勉強しなさい」とか言われても、ちょっと嫌いにはなるかもしれないけど、憎むことなんてないですよね。自分の家族とか、ましてや自分の命なんて、簡単には憎めないですよね。今日の箇所でイエスさまは、誰かを憎むことが良いことだって言っているわけではありません。ここでの「憎む」という言葉はそんなに怖い言葉じゃないんです。家族よりも、自分の命よりも、神さまを大切にしていなさいと言っているんです。そう、ここが大切なんです。何よりも神さまを大切にすることって意外と難しいんです。私たちは色々なものを一番にしてしまいます。例えば勉強が出来ることとか、スポーツができることとか、そういうことを一番大切なことにしてしまうことがあります。さらには、お金とか名誉とか、気が付けば、大事なものや心の拠り所がたくさん作ってしまい、神さまを大切にすることをどんどん後ろの方に追いやってしまうんです。そのことに気を付けなさいとイエスさまは言っているんです。

 神さまを一番大切にして、そこから他のものを大切にするんです。家族、友人、そして自分の命。これら全てのものを一番大切な神さまが与えてくれた。だから、私たちはそれらのものを大切にするんです。そして、イエスさまは自分の十字架を背負ってついて来なさい、と言われました。十字架は、イエスさまが私たちを救うために背負ってくださったものです。私たちの辛いことや悲しいことだけでなく、私たちの全てを背負ってくださることを示してくださったんです。そこには必ず、神さまの愛があり、喜びや希望があるのです。イエスさまが十字架を背負ったように、私たちの人生に関わる全てのものを一緒に背負ってくださる。そのことを覚えて、安心して、神さまを大切にしていきましょう。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□31番 「キリストイエスは」

□119番(改訂版) 「主に従うことは」

やってみよう

☆大切なものを捨てて…

1、自分の大切なものを紙に書いて、紙ヒコーキを織る。

2、紙ヒコーキが入るくらいの空箱や空筒を的にして、ヒコーキを飛ばして入れる。意外と難しいです。空箱にイエス様の絵を描いて貼ると良いですね。

3、紙ヒコーキは、自分の大切なもの。空箱の的はイエス様。大切なものを投げ捨てて、イエス様のあたたかいふところに飛び込みましょう。

4、みごと入ったら、先生と「おめでとう」言ってムギューっとハグしましょう。

はなしてみよう

・大切なもの(宝物)は何ですか?

・では、その大切なものはもともと誰のものか考えてみましょう。

・大切な何かを捨てるとはどういうことでしょう?捨てる場所は、イエス様の十字架の下(足元)だと考えてみてください。

・すべてを捨てて、イエス様の胸に飛び込んでみたら、どんな気持ちかな?