正しいことを行う決断は分裂を生むが、それを恐れない勇気をいただく。
イエスさまが「火を投じる」ということで何を言おうとしているのかははっきりとは分からないが、今回は「正義の炎」ということで理解する。
正しいことのためには、傷付いたり、辛い思いをしたりすることもあるが、そこにイエスさまの慰めがあることを覚えたい。
説教では触れなかったが、私たちが「正しい」と思うことも間違っているかもしれないことを忘れないでいたい。
51節の「分裂」という言葉は、同じ話しが伝えられているマタイでは「剣」となっている。「分裂」ということがなんとなく分かれてしまうということではなく、強い意志のもとで生じてしまうものであることが分かってくる。
人は、たくさんの人の考えに流されてしまうことがあります。私が子どもだった頃、「赤信号みんなで渡れば怖くない」と言うことが流行っていました。赤信号を渡ることは、本当は悪いことですし、怖いことです。でも、本当は悪いことや怖いことでも、みんなですれば大丈夫なんだとさっきの言葉では言われていました。つまり、私たちは、間違っていることでも、他の人がそれをしていたら「いいんだ、大丈夫なんだ」と思ってしまうのです。ゴミのポイ捨ても同じことが言えるかもしれません。
こんなときに、「赤信号は渡っちゃいけないよ」と言ったり、「ゴミを道に捨てちゃいけないよ」と言えるような勇気を持ちましょうとイエスさまは言われていたのかもしれません。イエスさまは、「地上に火をつけるために来た」と言われました。イエスさまがつけようとされている火は、正しさの火だと思います。火がついたら明るくなるように、正しいことを心の中にしまっておくのではなく、言葉や行ないで明るみに出しましょうとイエスさまは言っておられると思うのです。
でも、それってとても怖いことです。なぜなら、他の人とは違うことを言ったりすることですし、それを言ったら仲間外れにされてしまうかもしれないからです。でも、大丈夫です。イエスさまは、私たちが辛い思いをしているときも、正しいことが実現するまで一緒にいて、踏ん張ってくださるからです。だから、私たちは、イエスさまと一緒に勇気を持って、間違っていることに対して「それは違うと思う」と言ったりすることができるのです。
イエスさまの望む正しいことのために、私たちに勇気が与えられますように。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□46番 「やまにはけわしい」
□120番(改訂版) 「主イェスの道を」
今日は2つのゲームをやりましょう。人数によりますが、きっと室内でできるのではないでしょうか。
それぞれのゲームで、指示をするリーダーが必要です。また、リーダー以外は目隠しをしてやると難易度があります。
特にゲーム2は動きがあるので、教師の方々は見守りをお願いします。
~ゲーム1~
リーダーは前に、子どもたちは散らばって立ちます。
1.リーダーが「イエス様が言いました。座りなさい。」全員座ります。
2.「ジャンプしなさい。」これは、“イエス様が言いました”とは言っていないので、その場から動きません。
3.“イエス様が言いました”と言っていないのに動いたり、リーダーが指示した動きと違うことをやったら抜けましょう。
4.最後の1人になるまで続けます。
~ゲーム2~
1.おしくらまんじゅうのように、隣の子どもと腕を組み、背中を合わせて円陣を組みます。
2.リーダーが「左」と言ったらみんなで左に、「右」と言ったら右にドドドッと移動します。
3.リーダーは前後左右、左回り、右回り、しゃがむ、ジャンプとみんなを操縦します。
~ゲーム1~では、リーダーの指示をきちんと聞き分け、その言葉を信じて行動する力が必要です。
~ゲーム2~では、リーダーと仲間たちを信じて動かないとできません。
説教の終わりにあるように、仲良しで周りに合わせることだけではなく、神さまの言葉に耳を傾け、自信を持ってすすむように伝えたいです。
・こども讃美歌120 主イエスのみちを
・分裂した方がいいことってある?具体的に挙げてみよう。
・「形だけの平和」ってあるだろうか?それって良いこと?
・イエス様の言う「火」って何だろう?