神さまがくださったものをなんのために用いるのかを知る。
神の救い、恵みは神さまから一方的に与えられる。つまり、私たちは、自分の救いのために神さまに何かをしたり、何かを捧げたりする必要はない。だからこそ、私たちは、私たちがすることを自分が恵みを受けるためにするのではなく、他者に対して行っていくのである。
聖句には、続きがある。「あらゆる貪欲に気をつけ、用心しなさい。有り余るほどの物を持っていても、人の命は財産にはよらないからである」(聖書協会共同訳)。私たちの命、その価値は、私たちが何かをどれだけ持っているかということにはよらないのである。
あるところに、大金持ちがいました。ぶどうの畑をたくさん持っていて、ぶどうを売ったり、ぶどうから作ったジュースを売ったりして、たくさんお金を持っていたのです。
あるとき、ぶどう畑でいつも以上にたくさんのぶどうが採れました。大金持ちは喜びました。「たくさんぶどうが採れたぞ!これで、たくさんぶどうを売ることができる。それから、ぶどうジュースもたくさん作って、それも売ろう。そしたら、もっともっとお金持ちになれる!よし、そのために、採れたぶどうを倉にしまっておこう。」こうして、大金持ちは、自分がもっとお金持ちになることばかり考えていました。そして、とても大事なことを忘れてしまっていました。それは、誰がたくさんのぶどうをくださったのかということです。大金持ちは、神さまが雨を降らせ、太陽の光を浴びせ、ぶどうをたくさん作ってくださったことを忘れてしまっていたのです。
さて、大金持ちは、もっともっとお金持ちになることを楽しみにしながら寝ました。しかし、その夜、大金持ちは突然心臓が止まって死んでしまいました。大金持ちが倉にしまっていたぶどうは、誰にも食べてもらえません。大金持ちが作ったぶどうジュースも誰にも飲んでもらえません。そして、とうとう倉にしまわれたままダメになってしまいました。
今、大金持ちの話しをしました。どうしたら、ぶどうは無駄にならなかったのでしょうか。大金持ちは、自分がもっと豊かになるために、神さまがくださったぶどうを一人占めしてしまいました。それがよくなかったのでしょう。もし、大金持ちが神さまがくださったぶどうやジュースを、お腹の空いている人、喉が渇いている人に分けてあげていたら、ぶどうやジュースは無駄にならなかったと思います。そして、神さまもそのことを喜んでくださったでしょう。
神さまは、私たちにたくさんのものをくださっています。お金も食べ物も飲み物も着る物もおもちゃも色々な物をくださっています。私たちは、それを一人占めしてしまうのでしょうか。それとも、困っている人にそれを分けてあげるのでしょうか。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□51番 「わたしはしゅのこどもです」
□123番(改訂版) 「わたしは主のこどもです」
・お金と命とどちらが大切?
・イエス様は生きるために何が必要(何に注意を払うよう)と言っている?
1.大切にしているものを持ってきてもらう
2.それは、いつ、どこで、誰が・・・等、その物に関する歴史を発表する
3.「自分自身は誰の物だろう?」と聞く(お母さんのもの、家族のもの・・・等の答えが出ると思う)全てのものは神様によって作られたこと、神様からの贈り物であることを伝える
4.こども讃美歌 かみさまがつくられた