TNG The Next Generation

2019年7月28日 聖霊降臨後第7主日

福音書 ルカ10:38-42
第一の日課 創世記18:1-14
第二の日課 コロサイ1:21-29

今週の聖句

しかし、必要なことはただ一つだけである。
ルカによる福音書10章42節

ねらい

イエス様は、「必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(42)と語られました。文脈から判断して、「それ」が何であるかは明らかです。39節には、「マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた」と書いてあります。イエス様が、「必要なことはただ一つだけである」と断言され「取り上げてはならない」と語られたのは、「主の足もとに座って、その話に聞き入っていた」(39)ことです。

イエス様は、別の箇所で、旧約聖書から引用して、「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」(マタイ4:4)と語られました。神の言葉、つまり、御言葉こそ、私たち人間が「生きる」のに必用不可欠なものなのです。それでは、御言葉を聞くことと、愛の業・愛の奉仕とを、私たちは、どのように考えたらよいのでしょうか?

説教作成のヒント

イエス様は、マルタもマリアもラザロも、このベタニア村の一家のことを愛しておられました。そして、マルタたちもイエス様を愛していました。マルタは、旅人・客人であるイエス様の食事の用意をし、おもてなしをするという実際の仕事をしていました。一方のマリアは、イエス様の話を聞いていました。どちらも大切なように思われますが、優先順位が違います。なぜならば、神様から豊かな恵みをいただいて、神様に喜ばれる愛の業・愛の奉仕をするためにも、私たち人間は、まず御言葉を聞くことにより、神の言葉によって、生かされ、養われ、信仰を固くされる必要があるからです。ここでイエス様は、マルタを責めておられるのではありません。イエス様は、今マルタが愛の奉仕をしているのは、主の御言葉を聞いたからだということを思い出させ、今マリアは御言葉を聞くことに専念しているのだから、神様から恵みをいただく、主と交わる時間を、マリアから「取り上げてはならない」と命じられているといえます。

豆知識

「ある村」(38)は、ベタニア村を指しています。ベタニア村は、エルサレムの東約3kmに位置していました。

「働いて」(40)と訳されている言葉は、弟子たちが「奉仕する」、「仕える」という意味でも使われています。

説教

都エルサレムに近い、ベタニア村の「マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いてい」(40)ました。ヨハネ福音書にも「マルタは給仕をしていた。」(12:2)と書いてあります。そして、イエス様は、この「マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。」(ヨハネ11:5)のです。つまり、マルタもマリアもラザロも、イエス様から愛され、この一家もイエス様を愛していたことが分かります。

イエス様が、エルサレムを目指して、つまり十字架に向って旅をしておられた、ある日の出来事です。この日、マルタは給仕することで、マリアは御言葉を聞くことで、それぞれが、イエス様に仕えていました。旅人や客人をもてなすのも、旅人や客人の話しを聞くことも、いずれも大切な奉仕だといえますが、この時、マルタは、マリアの奉仕が、自分の働きに劣ると考えたのだと思います。

そのことで、マルタは、「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」(40)と、こともあろうに、イエス様に命令してしまったのです。

しかし、イエス様は、怒ることなく、愛情を込めて、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(41, 42)と語られました。

主のために、私たちが何か愛の奉仕をすることは大切ですが、それが聖書の教える第一のことではありません。主から愛されている者として、私たちは、主を愛し、御言葉を聞き、礼拝を守ることが求められています。その上で、兄弟愛や隣人愛に生きる、愛の奉仕があります。

主なる聖霊に導かれ、今日も神様との交わりに招かれた私たちは、御言葉を聞くことによって、神様の豊かな恵みをいただきます。御言葉を聞き、神様からの豊かな祝福をいただいてこそ、私たちの奉仕は、単なる多忙な仕事ではなく、主の栄光をあらわす愛の業・愛の奉仕へと変えられます。私たち人間にとって、唯一大切なものは、マリアが選んだ御言葉です。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□51番 「わたしはしゅのこどもです」

□123番(改訂版) 「わたしは主のこどもです」

やってみよう

☆受け入れられると…

二人ずつ組んで、5分間ずつ、たとえば「頭をなでてほしい」、「膝枕をしたい」などと、おねだりしましょう。自分のあるがままの気持ちを受け入れてもらうことを、実際に経験してみましょう。

☆少年サムエル

・神さまのみことばを聞いた子どものサムエルのお話をしましょう。

※サムエル記3:2-10、アーチブック「少年サムエル」

・お話を聞いた後、サムエルはどんな子どもだったか、話してみましょう。

・教会のどこかにサムエルの絵があれば、みんなで「サムエル探し」しましょう。絵がない場合は、古いカードやネットでサムエルのイラストをコピーして、どこかにひそかに貼ったり、隠したりして「サムエル探し」をしましょう。

・最後にしばらくの間、みんなで手をつなぎ目を閉じて、心を神さまに向けましょう。リーダーは、しばらくの沈黙の後、静かに今日のみことばをゆっくり読みます。再び、沈黙の後、お祈りをしましょう。

はなしてみよう

その①

・あなたは、マルタとマリアのどちらに共感しますか。

・イエス様のそばにいると信じて、自分の心の奥の声に耳を傾けてみましょう。

・あるがままの自分と向き合ってみましょう。

その②

今日の聖書でイエス様は、私たちはどんなことよりも神様のお話を聞くこと、お祈りすることが大切だと言っています。自分にとって、大切なものはなんでしょうか?考えてみましょう。家族、友達、勉強、ゲーム、テレビ、お金、お祈りの七つを、自分が大切だと思う順番に並べ替えてください。なぜそのように並べたか、お互いに話してみましょう。

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