・イエス様は弟子たちのもとを去られ、聖霊を残していかれます。聖霊はイエス様と共に私たちを支え、私たちの間に平安を与えられることを知りましょう。
・聖霊は五感や思考で確認できるものではなく、信じる信仰の対象です。
・平和は通常争いのない状態を言いますが、ここでは神様と人間の間にある絶対的な平安です。
・26節の「弁護者」は「助け主」とも訳される言葉で、この場合「聖霊」を指しています。
・聖霊は「プネウマ」と言われ、「風」や「息」という意味です。天地創造の時、アダムに息が吹き込まれ、生きたものになりました。死んだようになっていた弟子たちも聖霊によって生きたものに変えられます。
・弟子たちはいつもイエス様と一緒でした。一緒に食事をし、お話を聞き、不思議な奇跡も一番近いところで見ました。そのたびごとに弟子たちの心は踊り、イエス様を頼る気持ちが強くなっていきました。ところがイエス様は時々寂しそうな顔をされます。その様子を見ると弟子たちも不安になります。そしてイエス様はこれからどこかに行かれるようなことを言われるようになったのです。どこに行かれるのか、僕たちを置いてひとりで行かれるのか。弟子たちはさらに不安になりました。そうです。イエス様には十字架にかかって人々の罪を赦すという大切な務めがあったのです。十字架にかかるという事は死ぬという事です。当然弟子たちとは別れ別れになるのです。イエス様は弟子たちの不安をご存じでした。そこでご自分がいなくなっても大丈夫なように、「平和」を残していかれます。イエス様が残していかれる平和は「本当の安心」です。この平和は聖霊の神様が与えてくださいます。聖霊の神様は目に見えないので何だか頼りないですね。でも聖霊の神様は父なる神様と天におられるイエス様と一つです。聖霊は父なる神様とイエス様と一緒に、私たちに「本当の安心」を与えてくださるのです。弟子たちはこの平和をいただいたことによって、イエス様が弟子たちの前から見えなくなっても、弟子たちには勇気と平和が与えられて、イエス様を宣べ伝えることが出来るようになったのです。今、世界中にある教会は、この「本当の安心」をいただいた弟子たちが働いて増えていきました。この平和はわたしたちにも与えられます。不安な時も悲しい時も平和と勇気が与えられています。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□44番 「わたしたちはしゅイエスのこども」
□120番(改訂版) 「主イェスの道を」
目かくしをして言葉と音を頼りに目的の所へ行くゲームをしてみよう。
<用意するもの>
・目隠し用の布(スカーフ、バンダナなどを折りたたむ)
・すず、タンバリン、たいこなど音の出る物
・スタートとゴール(スタートから数メートル先)に目印をつける。まわりにぶつかる物がないように場所を空ける。
・ゴールに音の出る物を持っている人が立つ。
・スタートに目かくしをした人が立ち、ゴールの人が出す音を頼りに歩いて近づいて行く。右にそれたり、左にそれたりして歩いていたら「もっと右、もっと左、まっすぐそのまま」と言葉かけをしてゴール出来る様に助けてあげる。
・ゴールしたら次の人にチェンジする。
・イエス様のお話に出てくる「その事が起きる前に」という言葉の中の「その時」とは何の時?
・イエス様が残して下さった「平和」ってどんなことだろう?