イエス様が真ん中におられる時、そこには平和がある。
・イエス様は十字架にかかって死なれました。それなのに弟子たちが集まっていた家に突然、姿を現されたのです。弟子たちが幽霊だと思ったのは当然でした。
・不思議なことに骨も肉もあると言われるのです。おまけにむしゃむしゃと焼いた魚を食べられるのです。復活の体とはどうなっているのでしょう。
・復活とその体は私たちの思考の合理性を超えるものです。
・イエス様が真ん中に立ってくださる。この信頼と安心。
・「シャローム」は「平和があるように」という意味。聖書の時代は「こんにちは」というような、ごく一般的な挨拶の言葉でした。でもここではただの挨拶には終わりません。
・イエス様が「手や足を見なさい」と言われたのは、釘跡を確認させるためでした。
弟子たちは寂しいだけではなく、怖かったのです。一番信頼していたイエス様が悪いことをした人のように、十字架にかかって死んだのです。そして弟子たちもその仲間と思われて、捕まるかもしれないと恐れていたのです。見つからないように家の窓や扉に鍵をかけて隠れていました。イエス様と一緒にいた時のこと、イエス様が捕まった時のこと、十字架にかけられたこと、いいことも悪いこともかわるがわる話していました。そこにイエス様が突然現れたのです。鍵をかけていたのに入ってくることも不思議でしたが、死んだはずのイエス様が「平和があるように」と言って現れたのです。弟子たちは幽霊だと思いました。イエス様は弟子たちが信じられないでいることをわかっていました。そこで十字架にかけられた時に釘で打ちつけられた手や足の跡を見せたり、焼いた魚を食べて見せられたのです。イエス様は幽霊ではありませんでした。弟子たちの表情が変わります。不安や恐れから嬉しい笑顔になったのです。死んだイエス様が生き返る復活がどういうことかはわかりません。でも死んだはずのイエス様が自分たちの目の前にいらっしゃるのです。弟子たちはそれだけで十分でした。寂しさと悲しみに塞いでいた弟子たちの心に光が差しました。弟子たちの心も死んでいたのに生き返ったのです。
私たちの心もいつも楽しいとは限りません。悲しい時も寂しい時もあります。でもそんな時、イエス様が私たちの心に来てくださって、「平和があるように」と言ってくださいます。そうすると、私たちの心には少しづつ光が差し、安らかな気持ちと勇気を与えられます。
□115B(A)番 「イースターのあさはやく」
□88番(改訂版) 「イースターのあさはやく」
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
<材料>
・長い紙・鉛筆、クレヨン、マジック・ハサミ
イエス様は「あなたがたに平和があるように」といわれています。皆さんも平和について考えて見ましょう。そして、平和を作り出す人々を作ってみましょう。
①長い紙を折ります。
②人の形を書きます。
③ハサミで切り取ります。
・イエス様が現れて、お弟子さん達はどんな気持ちだったでしょうか。
また、どんなことをイエス様に言ったと思いますか。