「復活のキリストの方から、主イエスの方から我々に出合ってくださることを伝える」。
「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体・・・」は旧約聖書全体がメシアの苦しみと栄光について述べているということ。
「一緒にお泊まりください」の「泊まる」は「とどまる」とも訳される言葉。
弟子達がイエス様に気づいたのは「パンを裂いた時」であった。五つのパンを大群衆に分け与えたとき(9章16節)も、最後の晩さんのとき(22章19節)もイエス様は同じようにされた。
エマオ村は、エルサレムから11㎞(=60スタディオン)ほどの距離。
夜、外を歩く時に必要なものはなんでしょうか。キャンプなどで肝試しをする時に懐中電灯、灯りを持っていきますね。暗い時には灯り、心が暗い時には希望が必要です。
今、イエス様の弟子の二人はとぼとぼとエマオという街に向かって歩いています。イエス様が十字架で殺されてしまい、悲しみの中で心の中は真っ暗です。自分では心に灯りを灯すことができません。この二人の弟子たちに、希望の火を燃え上がらせるために、復活されたイエス様ご自身が近づいてこられます。弟子たちは悲しみで心の目が遮られていたのでイエス様だと分かりませんでした。それとイエス様はとても自然な様子で私たちと共に歩んでくださるのです。私たちが悲しい時もイエス様はいつも一緒に歩んでくださっていますが、なかなか気づきません。
一緒に歩きながらイエス様の話を聞いていると弟子たちの心は少しずつ燃えてきました。そして、宿屋でイエス様が感謝してパンを裂かれた時、最後の晩餐、十字架にかかられる前にされていたこと、約束されていたことを思い出しました。教会の聖餐式はイエス様が弟子たちとわたしたちに残してくださった約束なのです。悲しい時、心が暗くなるような時にも一緒にいるという約束、希望の光をあなたたちに灯すという約束なのです。
弟子たちがこの旅人がイエス様その人であったことを悟った時、もうイエス様はおられませんでした。そこで弟子たちはどうしたでしょうか。もう一度悲しい思いに戻ってしまったでしょうか。そうではありません。弟子たちの心は希望に燃えていたので、もう大丈夫です。「さあ、行こう」と行って歩み出しました。心が闇に閉ざされる時、それは絶望の始まりではなく、希望の主に出会う始まりの時です。イエス様が一緒にいてくださり、私たちの心の目を開き、希望の火を灯してくださることを覚え、どんな時も安心して歩んでいきましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□115A(B)番 「イースターのあさはやく」
□54番(改訂版) 「ガリラヤの風かおる丘で」
<材料>
・色画用紙(赤)
・クレヨン、マジック
・ハサミ
お弟子さんたちはイエス様からお話を聞いたとき「心が燃えていた」と話しています。皆さんも心が燃えることを考えて見ましょう。そして色画用紙(赤)を炎の形に切って、そこに自分の心が燃えることを書いてみましょう。
①色画用紙(赤)に炎の絵を描き、切り取ります。
②自分の心が燃えることを書きます。話してみよう
・話した時、なぜ2人の「心は燃えた」のでしょうか。
・「心が燃えた」らどんな風にしたくなるでしょうか。