2019年3月31日 四旬節第4主日
ルカ15:11-32 イザヤ12:1-6 Ⅰコリント5:1-8

今週の聖句

「父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」
ルカによる福音書15章20節

ねらい

神さまは憐れみ深く、失われた者を見つけ出して、命を喜ぶお方です。

説教作成のヒント

道を踏み外す弟は徴税人や遊女、罪人です。生真面目な兄は律法学者やファリサイ派の人たち。父親は憐れみ深い神さま、心が広く寛容です。それぞれの思いを感じて、考えながら、神さまの憐れみが私たちにも注がれていることを覚えます。

豆知識

指輪は父親の権限で、それを渡すというのは権利の移譲を意味します。

説教

財産を分けてもらう、それは父親の死を意味しています。父親を死んだものとして、弟は家を出て行きました。なんと親不孝な息子でしょう。彼は派手に遊んで暮していましたが、やがてお金をすべて使い果たしてしまいます。食べるものもなく助けてくれる人もなく、やっとのことで豚の世話の仕事を見つけましたが、いつもひもじい思いをしていました。そこでハタと気づきます。お父さんの家に帰ろう。弟は雇人の一人にしてもらおうと思い、父の家へ向かいました。すると、お父さんはまだ息子が遠くにいたというのに、その姿をみとめると走って駆け寄り、息子を抱きしめました。お父さんはどんなに嬉しかったことでしょう。息子の帰りを待っていたのです。

仕事を終えた兄は家へ着くと、弟が帰って来たことを知らされます。父は喜んで宴会を開いています。兄は面白くありません。だって好き勝手に振る舞い、貧乏になったのだから、自業自得です。助けてあげる必要なんてあるものか、なのにお父さんは弟ばかりえこひいきして、僕は一生懸命働いてお父さんの手伝いをしているのに。兄はすねて家の中へ入ろうとしません。兄は不公平に思いました。お父さんは弟ばかり可愛がって自分を大事にしてくれない。不公平でしょうか。兄の立場ならそう感じるかもしれません。しかし、弟の立場であったらどうでしょう。赦してもらってよかったと思うに違いありません。息子たちを大切に思う、父の気持ちに分け隔てはありません。ただ弟は失われていたのです。神さまは失われた者、その命を喜ぶお方です。その命が正しいことをしたからではなく、その命が死んでいたのに生き返ったから…、救いを喜ぶのです。

神さまは私たちが正しいから恵みをお与えになるのではなくて、私たちが弱く、病んで、傷ついて、愚かで、道に迷うから、その姿に心を動されて憐れむのです。だから罪人を迎えて宴席、子牛の代わりにイエスさまを屠り、食事の席へと招いてくださいました。これこそが恵み、憐れみ深い父なる神さまのお姿です。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□34番 「かいぬしわがしゅよ」

□改訂版55番 「小さい羊が」

やってみよう

☆イースターの準備

イースターエッグやひよこの絵をたくさん描き、切り抜く(イースターにみんなで飾る)。

はなしてみよう

□「放蕩息子」と「父親」とは誰の事でしょうか。