イエスの「幸いである」という祝福の言葉を自分自身に語られている言葉として受け止め、自分自身を祝福された存在として受け入れる。
聖書の言う「貧しい人々」や「神の国」は何を意味しているだろうか、どのように私たちの生活の中に当てはめることができるのだろうかを考える。
並行箇所のマタイによる福音書では「山上の説教」と呼ばれる有名な箇所で、イエスは山の上で人々に語っているが、ルカによる福音書では17節にある通り、山を降りて平地で人々に語っているので、「平地の説教」と呼ばれている。
イエス様は「貧しい人々は、幸いである」と言いました。貧しい人々って、どんな人たちでしょうか。お金が無い人たちが貧しい人たちでしょうか。住む家が無い人たちが貧しい人たちでしょうか。食べるものが無い人たちが貧しい人たちでしょうか。もしかしたら、家族や友達が居ない人たちが貧しい人たちでしょうか。世の中には、いろいろな貧しい人たちが居ます。それでは、あなたは自分のことを貧しい人だと思いますか? 自分のことを貧しい人だと思う人も居れば、貧しくないと思う人も居ると思います。どちらにしても、貧しい人が嬉しくて自分から好きで貧しい人になっているという人は居ないと思います。でも、イエス様は「貧しい人々は、幸いである」と言いました。それは、貧しい人たちは神様に頼ることができるからです。貧しくない人たち神様に頼れないのかというと、そんなことはありません。でも、お金をたくさん持っている人は、神様に頼る前にまずお金で何とかしようと考えます。お金をたくさん持っていると、お金で何でもできると思って、神様に頼ろうとしません。家族や友達がたくさん居る人は、神様に頼らずに何でも人に頼ってしまいます。自分に能力や才能があると思っている人は、自分だけで何とかできると思って、他の人や神様に頼ろうとしません。でも、貧しい人は神様に頼ります。貧しい人は、まず神様に頼ることができる人です。私たちは、他の人と自分を比べて、あの人みたいにお金持ちだったらとか、あの人みたいに才能があったらとか考えてしまうことがあります。そういう時、心の中は貧しい気持ちになります。どうせ自分なんかという思いが出てきます。そんな時、イエス様は「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである」とあなたに言います。神の国は言い換えれば、神様がいつもあなたと一緒に居て支えてくれるということです。神様に頼ることができるあなたは幸いです、神様がいつもあなたと一緒に居て支えてくれるからです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□119番 「やさしいめが」
□改訂版53番 「ペトロは」
8枚のカードを用意します。
ルカ福音書にある4つの幸い、4つの不幸を8枚のカードに書いていきます。
幸いと不幸はそれぞれ相対するものがありますので、それを表裏に張って4枚のカードにします。
そのときに子供たちと話しながらやってみましょう。
「貧しい人々は幸いである」の対になっているものは何かをさがしていきます。
4枚のカードになったところで、それぞれ裏表を見ながら何が大切なことかを話し合いましょう。