2019年1月6日 顕現主日
マタイ2:1-12 イザヤ60:1-6 エフェソ3:1-12

今週の聖句

「宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」
マタイによる福音書2章11節

ねらい

博士たちが、東の国から携えて来たものは、自分の命よりも大切な方への贈物でした。救い主の誕生に、私たちは何の贈物を携えることができるでしょうか。

説教作成のヒント

まだお会いしたことのない方を探し求めて行く意味と不確定な中にあっても、確かさの先取りとしての歩み。(見ないで信じる信仰)

豆知識

・乳香はカンラン科の乳香樹(にゅうこうじゅ)という木の樹脂が固まったもの。

 没薬も、よく似た種類の木の樹脂が固まったもの。

・博士」あるいは「賢者」と訳される言葉「マゴイ」(マギ)の原義は、天文学者であったようです。

・三博士の名は、西洋では7世紀から次のような名が当てられている。メルキオール Melchior (黄金-王権の象徴、青年の姿の賢者)、バルタザール Balthasar (乳香-神性の象徴、壮年の姿の賢者)、カスパール Casper(没薬-将来の受難である死の象徴、老人の姿の賢者)。

説教

クリスマスには多くの人々が登場しますが、その中で最後に登場するのが、博士と呼ばれる人たちです。人数は定かではありませんが、携えて来た贈物が三つなので、「三人の博士」と呼ばれています。彼らはユダヤ人ではなく、遠く異国の地から星に導かれるままに歩み続けました。それは、ユダヤ人の王としてお生まれになる方を拝むためでした。

 ここで、私たちは不思議なことにきづきます。それは、宗教も文化も民族も異なる救い主の誕生に、遠く見知らぬ国から訪ね求めて来たことです。この博士たちの思いは、いつ、どこで、どのようにして拝むことが出来るという確かさは、何もないのです。つまり、計画があって計画がない世界を歩み続けるのです。私たちは、あと何日寝ると、クリスマスがやって来る。これだけのことをすれば手に入ると言う予定の中で生活しています。でも、この博士たちは、故国を発ったものの、最終ゴールがいつ、何処なのか、まったく見えなくとも、ただひたすら天空の星に導かれるままに、歩みつづけました。これはまさに、信じ、委ねた姿以外の何ものでもありません。

この博士たちは、当時,占星術の学者と呼ばれ、自国では、地位も名誉もお金も持っていた人たちであったことは、容易に理解出来ます。しかし、その彼らが無計画と思える、それも見果てぬ時間と空間を求めて歩み続ける姿は、どれほど私たちに勇気と希望を与えてくれることでしょう。

それは、彼らにとっての旅は、危険をも顧みず、明日の保証も確かさもかなぐり捨てて、いつ到着するか分からない旅ではあっても、それ以上に、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(2章2節)にすべてがあり、彼らの人生も命も、この救い主を拝むことにすべてがあったのです。

クリスマスは、イエス様のお誕生は、この博士たちのように、私たち一人ひとりが持っている宝物をすべて捧げても余りある大きな救いの出来事なのです。私たちはまず、自分が得か損かを計算して始めるのではなく、すべてを星に任せてひたすら歩み続けた博士のように、すべてを神様に委ねて歩み続ける毎日であり、一年でありたいものです。

分級への展開

さんびしよう

* 讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□21番 「とおくのひがしから」

□改訂版78番 「とおくのひがしから」

やってみよう

☆こまづくり

外国人に神様が姿を現わされた記念日。そして人を選ばずどの人にも輝いた星を覚えて製作しましょう。

折り紙で星をつくり、中心がわかるようにしておく。

ボール紙に貼り、マッチ棒や割り箸を中心の棒にしてこまを完成させる。

割り箸を使う時は鉛筆削りで先を少し尖らせると良い。

星に色や模様をつけてもよい。

また星を3つ重ねたこまを作ってもおもしろいでしょう。

はなしてみよう

・ 旅のおもいでを話そう!

 一番長い旅、一番苦しかった旅、一番楽しかった旅、それぞれの理由。

・ 一生大切にしたい宝物ってある?

・ 博士たちはイエス様を「見つけた」のに何故「顕現(現れる)」っていうの?

 「見つける」と「現れる」の違いはなんだろう?