・わたしたちの主イエス・キリストのご来臨によってもたらされる世の終わりは必ず訪れます。そのときイエスさまはさばき主として臨まれますが、わたしたちにとっては救いの完成のときなのです。「わたしの言葉は決して滅びない」という主のお約束のお言葉をただただ堅く信じ、「気をつけて」(マルコ13:23)、「目を覚まして」いる(同13:35)ことを、イエスさまはわたしたちに求めておられます。
・世の終わりであれ、自分の終わりであれ、聖書がわたしたちに示している「終わり」は、一定のときとしてよりも、主イエス・キリストの来臨を示しています。わたしたちはこの世にあって、すでに主と共にある喜びのうちにすごさせていただいております。また、死の時にもイエスさまが共にいてくださり、死後もまた、ずっと側に居てくださるという希望に生かされています。「いつもあなたの側にいるよ」と語っていてくださるイエスさまの堅いお約束をいつも覚え続ける者でありたいと願いながら、子どもたちに語らせていただきましょう。
・「滅びる」というのは、原文のギリシャ語で「パルエルコマイ」という言葉です。「パル(パラ)」とはスキーのパラレルなどで用いられますように、「平行に」という意味です。平行線はどこまで行っても交わることはありません。ですから「決して滅びない」というイエスさまのお言葉は、「かならず、あなたがたと交わります」、「あなたがたの横を通り過ぎずに、いつも共にいるのですよ」、という主のお約束でもあるのです。
24節、25節に「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる」と書かれていますね。まさにこんなふうに思える大事件が、実際に、かつてこの地球上で起こったことがあります。
1億年ほどむかし、この地球上にたくさんのキョウリュウ(恐竜)たちが暮らしていたことをみなさんは聞いたことがあるでしょう。そのころはキョウリュウたちが一番強い、つまりキョウリュウたちの天下でした。福井県や北海道などにある恐竜の化石の博物館には、そんなキョウリュウたちの化石がたくさん展示されています。
でも今は、それらのキョウリュウたちは生きていませんよね。どうしていなくなったのでしょうか? 有力な考えによると、およそ6500万年前に、10kmもある巨大ないん石が今のメキシコのあたりに衝突をしたのです。その結果、とてもぶ厚い土ぼこりのような雲が地球全体をおおってしまい、太陽の光も地上に届かなくなりました。植物のほとんどが枯れてしまいました。大きな体で、たくさんの植物を食べなければならない草食のキョウリュウたちも死に、また弱いキョウリュウたちを餌にしていた肉食のキョウリュウたちもみんな死んで、滅んでしまったと考えられています。
もう少し現代に近い、日本でのお話しをしましょう。今からおよそ6400年前の縄文時代に、南九州の種子島や屋久島の近くで、「鬼界(きかい)カルデラ」と呼ばれている巨大な海底火山が噴火をしました。軽石や火山灰を含んだ熱風、つまり「火砕流(かさいりゅう)」がものすごいスピードで海の上を走り、南九州をおそいました。このときに南九州に住んでいた縄文時代の人たちの多くが犠牲と言われています。このときの噴火で出た火山灰は、日本の全土をおおい、北海道にまで達していたのです。
今の私たちは、そんな大事件が実際にあったことなど、まったく分からないほどです。イエスさまはおっしゃいました。31節です。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」。ここで「滅びる」と表わされている言葉は、もともと「交わらずに、側を通り過ぎて行く」という意味です。この宇宙で起こること、この地球上でのいろいろな事件、そして、私たちの周りで起きるさまざまな出来事はみな、時間とともに過ぎ去って行きます。そして時間がたつと、人々に忘れ去られていきます。
しかしながら、私たちの救いのために、私たちの罪を赦すために、神さまの御子であるイエスさまが成し遂げてくださったこと、つまり十字架とご復活の出来事、イエスさまを証ししている聖書のみことば、そして何よりもイエスさまご自身のおことばは、決して滅びることはないのです。「神の言葉」(黙示録19:13)であるイエスさまは、決して私たちと交わらないで、側を通り過ぎていかれるお方ではないのです。どんなときにも、たとえどんなに苦しくて悲しい時でも、イエスさまは私たちと共に居てくださるお方なのです。「わたしの言葉は決して滅びない」、わたしはあなたの側を通り過ぎていかないよ、いつもあなたと共にいるよ、とイエスさまご自身が、私たち一人ひとりに、堅い、堅いお約束をしてくださっているのですよ。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□36番 「しゅイエスのみちを」
□改訂版85番 「イエスの担った十字架は」
・来週から、教会では新しい1年が始まります。その前に教会をみんなできれいにしましょう。
こどもたちに取り組めるお仕事を準備します。
①みんなは、目を閉じます。
②リーダーは、「さんはい」と大きな声で合図をしてから、手を叩きます。(1回~ランダムに好きな数だけ)
③こどもは、いくつ叩いたかを当てます。(それぞれ紙に答えを書いても、一人ずつやって良い)
※ルール:絶対しゃべらない。叩く人は、はっきりと同じテンポで。
「さて、どのくらい当たったでしょう。注意深く聞かないと難しいですね。神さまの言葉も同じです。イエス様が戸口に近づいていると悟るものになりましょう。」
□今日は、教会のカレンダーでいうと1年の最後の日曜日になります。みんなのお家では、大晦日というとどんな事をしますか。
□教会での1年を振り返り、どんな事があったか話してみましょう。楽しかったこと、悲しかったこと。
□今日の聖書箇所を読みます。
□この世に終わりのないものは何だろうか。