・イエスさまはどうして、この貧しいやもめの行為を評価されたのでしょうか。それは「自分にとってできるだけの献げ物をするべきです」ということを、イエスさまはここで教えておられるのでは決してないのです。私たちは、自分の人生全体を、生活の全てを主のものとしてふさわしく歩んでいかなくてはなりません。この貧しいやもめの話を通して、イエスさまは目前に迫ったご自身の受難を、わたしたちのためにご自身を十字架にささげてくださることを、あらかじめ示しておられるのです。
・もしもこの貧しいやもめに、生活費がまったくなかったとしても、自分のまわりの人たち(隣人たち)に対して、心の限りを尽くして仕えたことでしょう。そのようにこの女性は、自分の生涯の全てを神さまに委ね、生活の全てを神さまにささげました。そのような、とても私たちにはできないと思えることを、イエスさまは私たちにしてくださったのです。そんなイエスさまに対する感謝の思いに満ちあふれながら、子どもたちに語らせていただきましょう。
・第二コリント8:9に「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」とあり、ヘブライ9:26に「ただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました」とあります。主ご自身の貧しさによって、ただ主イエス・キリストの恵みによって、生かされている私たちです。
「やもめ」ってわかりますが。夫が亡くなったりして、夫であった人と分かれた妻たちのことですね。書かれているこの時代は、男性中心の社会でしたので、頼りにしていた夫を亡くし、親類などに身を寄せることもできない年老いたやもめたちは、とても苦しい生活を強いられていたのです。そのようなやもめたちがどんな状況におかれていたのかは、パウロさんによって、「テモテへの手紙一」(5章3節以下)に書かれていますので、その様子をうかがい知ることができます。そのなかには、「身寄りがなく、独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けます」、とあります。今、この一人の貧しいやもめも、神さまに祈りをささげるために神殿にやって来て、レプトン銅貨二枚をさい銭箱の中に入れたのを、イエスさまはしっかりと見ていてくださいました。
「レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランス」と書かれています。それがどれぐらいの値打ちなのか、正確にはかり知ることはできませんが、働く人たちの一日の賃金の六十四分の一とのことですから、今の日本のお金に換算したとしたら、ひょっとして数十円ほどだったのかもしれません。一日の生活費が数十円しかないということは、ほんとうに貧しくて、苦しい生活だったのですね。「手もとにわずかしか残っていなかった生活費を全部入れたなんて、ほんとうにだいじょうぶなの?」。そのように心配してくれているお友だちもいることでしょうね。
ここで「生活費」ということばは、みなさんも聞いたことがあるでしょうが、「バイオ」ということばのもとになった言葉です。ですからもともとは「生命・いのち・生活」という意味なのです。ですから、この一人の貧しいやもめは、自分の全てのいのちを、自分の生活のすべてをささげて、神さまだけに信頼したのです。それに比べて、大勢の金持ちたちは、多くの財産をもっていましたから、お金に頼って生活をしていたのでしょう。何でもお金で買うことができると思っていたのです。金持ちたちが、たとえ神殿のさい銭箱に多くのお金を入れたとしても、彼らにとってそれは微々たるものに過ぎませんでした。
しかし、イエスさまがくださる「いのち」はお金では買えません。わたしたちが、先週の聖書のみことばで学びましたように、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして」、つまり与えられたいのちのすべてを尽くして、神さまにだけに信頼したのは、この貧しい一人のやもめだったのです。そのようすをイエスさまは、しっかりと見ていてくださいました。
イエスさまは私たちの心の中までも、私たちのすべてを、愛のまなざしによって見つづけていてくださいます。たとえ、私たちが神さまのお心からはずれてさ迷うときにも、イエスさまは私たちのことを心配してくださり、祈り続け、捜し求め、ご自分のもとに招き続けていてくださっているのです。私たちは日々の生活のすべてにおいて、イエスさまの愛のまなざしに心から感謝をささげたいと願います。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□116番 「まごころこめ」
□改訂版24-2番 「まごころこめ」
・適当な大きさの箱を準備し、みんながいつでも神さまへお手紙が入れられるお手紙ポストを作ってみましょう。
箱の外側は、画用紙や折り紙を使って自由にポストを飾りましょう。
お手紙を入れられるよう、切り込みを入れましょう。
・この1週間を振り返って、神さまに心からありがとうと思ったこと、また、ごめんなさいと思った事をお手紙に書いてみましょう。毎週、お手紙ポストに入れると良いですね。
□貧しいやもめは、自分の持っている物を全部、生活費のすべてを神さまにお捧げしましたね。この女の人は、どんな気持ちだったでしょう。
□礼拝の中で、みんなは献金をしますが、みんなはどんな気持ちでお捧げしていますか。話してみましょう。(もったいない?)
□心からのありがとうとごめんなさいの気持ちをお捧げする事が大切ですね。