この女性が神を徹底的に信じていたこと、しかも神は恵み深いお方であることを、信じてたことを伝えつつ、本当に神さまは恵み深いお方なのであることを伝えたい。
淡々と聖書を読むと、見うしないがちであるが、彼女はイエスの足もとでひざまずいている。その姿勢から、この言葉がどんな風に聞こえたのか、考えたい。
ここでイエス様が言われた「犬」という言葉は確かに余りにも侮蔑的であり、抵抗を覚える。それを和らげることになるかわからないが、その単語はどちらかといえば、ペットの犬を意味するもの。犬畜生というような響きではないことはここに記しておきたい。
教会のことを知っている人もいれば、知らない人もいます。イエスさまのことを知っている人もいれば、知らない人もいます。讃美歌を知っている人もいれば、知らない人もいます。
神さまのことを初めに知っていた人たちがいました。知らない人たちもいました。知っている人から、知らない人に、順番に、順番に、伝わって行くように、神様は願っておられるようです。
こういう順番が、とても大事なことだとイエスさまは思っておられました。イエスさまは、それで、自分の役目は、まず目の前にいる、ユダヤの人々に神様のことをお伝えする、ユダヤの人々の中で、病気の人を治したり、助けたりしておられました。
ところが、その日、ユダヤではなく、シリア・フェニキアというところに住む女の人がイエスさまのところに来ました。その女の人は、「私の娘が病気です、助けてください」とイエスさまに頼みました。
でも、イエスさまは、順番に、順番に、という自分の役目を思って、「今はできません。わたしはまずユダヤの人々のところへ行きます。親は、まず子供にパンをあげます。子犬に先にあげたりはしません。」とお断りになりました。
女の人は、考えました。そうか、自分は、テーブルの下にいる子犬。テーブルの上のパンは食べられないんだと。でも、神様のパンなら、きっとあふれて、あふれて、テーブルから落ちてくるはず。そうだ、落ちてくるパンだけでじゅうぶん!
そこで彼女は言いました。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」
神様の恵みは、あふれて、あふれて、こぼれるほどあふれると信じたのです。こんなに深く信じる姿をご覧になって、イエスさまは、たいへん驚かれました。そして、神様の恵みは、順番をも超えてしまうと思われたので、この人の娘さんの病気もいやしてくださいました。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□56番 「かみよこのひ」
□改訂版31番 「主よ、おいでください」
机の上に人数分のお皿を置きパンを少しずつ切って入れてみんなで食べてみましょう。
次に机の下に紙を敷いてパンを小さくちぎってばらばらと置き机の下に入ってパンを食べてみましょう。
どっちが美味しい?机の下で食べるのも面白いし美味しいかもしれないねえ。
でもいつも何時も机の下で食べるのはどう?ちょっと犬みたいねえ。
もしこれがパンでなくてとっても美味しいケーキだったら机の下におちたのも食べる? 等々話し合ってみましょう。
高学年
イエスさまは「子どもたちのパンを取って子犬にやってはいけない」と言われました。
いつもイエスさまは優しいと思っていたけどなんだか意地悪みたいですね。
子どもたち、って誰の事でしょう。子犬って誰の事でしょう。話し合ってみましょう。
この女性は、結果的には、娘さんの病気をいやされるという答えをいただきましたから、ある意味で、ハッピーエンドです。でも、わたしたちがどんなに祈っても、願いが叶わないこともあります。「祈る」ということについて語り合い、また実践してみていただきたい。