・「ヤイロの娘」のいやしと、「長い間出血に苦しめられた女性」のいやしの二つの出来事が記され、信仰の必要性が強調されていることを覚えたい。
・イエス様の最後の言葉によって、長い間出血に苦しめられた女性の信仰が救いと健康と平安とをもたらせるものであったことであると強調される。
・イエス様は、ヤイロに「恐れることはない。ただ信じなさい」と語り、再び娘を立ち上がらせることを通して、信じることはどのような絶望にも勝利することを示される。
・「出血」:レビ15:25には、出血の止まらない女性に触れると「汚れる」と規定されている。
・「12」という年数は単なる期間ではなく、イスラエルの十二部族、イエス様の十二人の弟子を思い起こさせるもの。
今日のイエス様の物語には二人の女性が登場します。一人は十二歳の少女、ヤイロの娘です。もう一人は少し大人ですが、十二年間出血に苦しめられた女性です。もう死にそうな十二歳の少女と死にそうではないけれども長い間苦しんでいた女性です。イエス様はどちらを救うでしょうか。先に助けに来てくださいと頼まれたのは十二歳の少女の方でした。家族が一生懸命イエス様に頼み、イエス様はその人のところに行くことにしました。十二歳の少女を助けて欲しいという願いはたくさんの人の願いでもありました。十二年間出血に苦しめられた女性のことをイエス様に頼んだ人は誰もいませんでした。彼女はイエス様の前に出ることすらできませんでした。お前は人の多くいるところに来るなと言われていたのです。それでも、イエス様の噂を耳にして、なんとか治して欲しいと願い、群衆をかき分けて、やっとの思いでイエス様の衣のすそにふれます。イエス様の所まで行くなんてこと、人々の生活する場に出ていくこと自体が彼女にとっての考えられないことだったのにも関わらず、彼女は実行したのです。この彼女の熱心な思い、これが大事です。イエス様ならと信じる思いがまず大事なことです。その時、イエス様は立ち止まって彼女を捜されます。勝手に触ったことを怒るためではなく、安心しなさいと言われるために。早い者勝ちではなく、一人一人が大切なことを教えるためにイエス様は立ち止まります。
でも、立ち止まった時間のせいもあり、十二歳の少女が死んでしまったと報告がきました。親はなんであの時、すぐに来てくれなかったと思ったでしょう。でも、その時にイエス様は言われます。「恐れることはない。ただ信じなさい」と。ヤイロの娘も大切だ、神さまのみわざを信じなさいと、委ねなさいと言われます。ヤイロはその言葉を信じたのです。このことが大切です。イエス様の言葉を自分の思いで信じないと何も起こりません。「タリタ、クム。少女よ、起きなさい」と手を取ってイエス様は言われます。イエス様は言葉とそして温かさを伝えられ、自分自身を一人一人に献げてくださいます。信じるときにイエス様の愛に満たされてわたしたちも歩めることを、信じる大切さを知りましょう。