・譬えによって与えられる神の国の奥義に目を向ける。
・御国に対する正しい応答としては、収穫の時が知らされた時、その準備ができていることである。
・神さまのご支配とみわざは、人の知らぬうちに成長し、やがて豊かに実を結ぶようになる。それは人の考え計ることによってなされるのでは決してない。わたしたちは、ただひたすら、種の中の力に、主のみわざに信頼をしていく者であることが大事。
・小さな種はみことばとも考えられるが、当時の小さく弱い教会共同体そのものだとも考えられる。そこには教会への励ましが隠されている。
・「からし種」くろがらしの種子だと考えられる。くろがらしの種子は、日本のからしなと比べて、非常に小さいけれども、発芽するとひじょうにはやく成長して、2~3m程の高さにまで達する。あぶらなと同じように、黄色の十字の花をつけ、実は2~3cmのさやになり、その中にとても小さな種子が入っている。くろがらしは1年草で、木ではないけれども、秋には成長して茎が木のように硬くなり、茎は小鳥の重さに耐えるほどに強くなる。
今日、イエス様は二つのたとえ話を語られます。成長する種とからし種のたとえです。種を土の中に蒔いてみましょう。毎日見たとしても土の中でその蒔かれた種がどのように成長するかは誰にも分からないし、蒔いた人、世話をした人の力によって種が生長するのではありません。大切なポイントはそれ自体に成長する力を種は秘めているのです。もし、成長する力を始めから持っていない種に毎朝水をやり、肥料をやり、土を入れ替えたりしたら実がなるでしょうか。成長する力を持っていない種は実をならすことができないのです。人の努力ではどうにもなりません。反対に成長する力を持つ種は人の力をそれほど必要としません。神さまの力だけ、すでに与えられた命が大切なのです。
続く第二のからし種のたとえは、蒔かれる前の種の小ささと、空の鳥が巣を作れるほどに成長した木との驚くべき対象が語られています。からし種は聖書の中では最も小さな種として登場します。世界で最も小さな種でも、成長すれば、鳥が巣を作れるほど大きな木になることができるのです。種の姿からはどのような木に育つのかは判断できません。想像はできますが、種の大きさで成長の大きさが決まるわけではないのです。小さなものでも大きく育つことができるのです。小さなものを大きく育ててくださる方がおられるのです。ここでわたしたちはからし種があっという間に大きくなるように感じるかもしれません。しかし、イエス様は時間のことを何も言われません。からし種が大きな木になるまでには長い時間がかかります。人の目からは無駄に感じるような時間かもしれません。しかし、大切なことは成長した後、どれほど大きな実りをもたらせるかなのでしょう。木を植える働きも遠い先を見た働きです。何十年という先を見る働きです。何十年後にもっともっと大きな恵みが与えられるために小さな種や苗が蒔かれ、神さまの恵みによって育っていくことが大切なのです。
わたしたち一人一人、小さなわたしの中に神さまは成長する力をくださっています。大きく、自分のためではなく、鳥が休めるような他者のために生きる力を与えてくださっています。そのことに感謝して大きく成長させられていきましましょう。