イエスの福音は、律法とは違って新しい教えであることを伝えたい。
先週の日課に続いて、食事に関する問答である。主イエスの食卓に招かれている喜びと恵みを、まずは伝えたい。余裕があれば、断食に関する新しい意味づけについて言及しても良いだろう。
断食とは、元来は信仰者の悔い改めのしるしだった。しかし、一歩間違えればその人の信仰の敬虔さを他人に見せつける行為と成り下がってしまう。主イエスが来られた今、断食はもはや意味をもたない。もし断食をすることがあるとしたら、それは主が十字架につけられる時である。
先週のお話を覚えていますか?イエスさまが徴税人のレビさんを弟子とされ、レビさんのお友達や罪人と呼ばれていた人たちと一緒に楽しく食事をした話でしたね。今日のお話も、食事と関係があります。
皆さんは、断食って知ってる?断食とは、食事をしないこと、ご飯を食べないことです。何か悪いことをしてしまった時、罪を犯してしまった時、神さまに「ごめんなさい」という気持ちを伝えるために昔の人は断食をしました。ところが、次第に断食をする人は偉い人なんだ、立派な信仰の持ち主なんだ、という考え方が出て来たのです。そうやって自分でがんばって断食をすればするほど、神さまに近づけると思ったんだね。
イエスさまは、そんな考え方で断食をしても意味がない、と言われました。誰かと競って自分の方が偉いんだ!ということを見せつけるために断食しても、神さまは喜ばれないと考えられたからです。また、神さまに近づくために断食や何か努力をしなければ駄目だというのではなく、神さまは優しいお方なので神さまの方から私たちのところへ来てくださる、ということも伝えたかったのだと思います。何よりも、イエスさまは誰とでも分け隔てなく楽しくご飯を食べるのが大好きでした。だからレビさんや罪人と呼ばれた人たちとも喜んで一緒に食事をしたのでしたね。
その頃イエスさまのような考え方をする人はいなかったので、イエスさまのお話を聞いた人はみんなびっくりしました。イエスさまの教えは、それまでの人が聞いたこともない新しい教え、福音だったのです。福音とは、嬉しい知らせ。イエスさまの教えは、どれも喜びに満ちています。
イエスさまとの食事は、聖書では結婚式によくたとえられます。イエスさまが花婿さん、そして私たち教会にやってくるお友達が花嫁さん。嬉しい楽しい結婚式では、みんなおいしい食事をいただきます。仏頂面をして「私はお料理を食べません」なんていう人は、結婚式に招かれた人の中にはいません。だから、私たちはイエスさまと一緒に楽しく、愉快に過ごしていって良いのです。イエスさまは、私たち一人一人を花嫁さんのように愛してくださいます。嬉しいことですね。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□1番 「みんなでたたえましょう」
□改訂版8番 「みんなでたたえましょう」
<用意するもの> 古い布(着物の古い端切、何度も洗った夏服の端切など出来るだけ古いぼろぼろの物)、新しい布針、糸、ハサミ(高学年はそれぞれに古い布と新しい布を10cm角程度、低学年は古い布、新しい布を大きめに)
◇高学年
生徒は古い布と新しい布を自分で縫い合わせてみる。その後両方を引っ張ってどうなるか試してみる。
◇低学年
大きめのハンカチかタオルくらいの古い布と新しい布を先生が縫い合わせて皆で引っ張り合ってみる。
参考 ※ビジュアル聖書百科p128皮袋の絵
(古い布が手に入りにくい場合ペットボトル、昔の水筒、竹筒、瓢箪、等、お酒や水を入れていた物、(実物や写真)を集めてみんなで水を入れてみたり出してみたりしてどれが便利か、較べてみても面白い。)
・今でも、断食をする人たちはたくさんいます。それは、どのような人たちでしょうか。また、彼らは断食にどのような意味づけをしているのでしょうか。「花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らも断食することになる」(20節)と言われたイエスさまの御言葉についても考えてみましょう。
・ 並行記事(ルカ5:33〜39)において、イエスさまは「古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである」と、補足されています。私たちの教会はどうでしょうか?