イエスはすべての人を分け隔てなく招かれるお方であることを伝えたい。
徴税人レビの召命である。イエスが弟子として選ばれた面々は漁師や徴税人など多種多様。彼らは「わたしに従いなさい」というイエスの一声に素直に従った。私たちもそうでありたい。
当時、律法を守ることのできない徴税人や貧しい人や障碍者は罪人と見なされていた。彼らは人々から差別され、社会の片隅に追いやられ、人目を忍んで生きて行くしか術がなかった。しかし、イエスが「幸いなるかな」と呼びかけたのはむしろそのような人々だった。自らを清く正しい者とうぬぼれる人にはイエスの福音は届かない。
イエスさまがレビさんをお弟子さんに選ばれた時のお話しです。レビさんは、徴税人のお仕事をしていました。徴税人というのは、人々から税金をとりたてる仕事です。イエスさまの時代、ユダヤに住んでいた人々はたくさんの税金を払わなければなりませんでした。それで、税金をとりたてる徴税人を人々は憎たらしく思っていたのです。中には、税金をごまかしてたくさんとっていた徴税人もいたからです。それで多くの人から、徴税人は嫌われ、仲間はずれにされていました。
そんな徴税人のレビさんに、イエスさまはある日、声をかけました。「わたしに従いなさい」と。それまで自分に話しかけてくれる人なんかいなかったレビさんは嬉しくて、すぐに「はい」と答えました。そして、イエスさまのお弟子さんになったのです。
レビさんは、イエスさまのお弟子さんになったことがあまりにも嬉しかったので、お友達を食事に招待することにしました。もちろんイエスさまもです。レビさんは徴税人なので、お友達の徴税人や罪人と呼ばれていた人がたくさん来ました。罪人というのは、貧しいので誰もがやりたくない仕事をしたり、体や心が弱くて律法を守ることができない人たちでした。それで罪人や徴税人は、みんなから馬鹿にされ、仲間はずれにされていたのです。でも、イエスさまは違いました。イエスさまは喜んでそのような人たちと一緒に食事をしたり、お話しをしたりしたのです。
それを見た律法学者が言いました。「どうしてイエスは徴税人や罪人たちと一緒に食事なんかするのか?なぜあんな奴らと付き合うのか?」と。するとイエスさまはきっぱりとこうお答えなりました。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と。イエスさまは、みんなから仲間はずれにされて悲しんでいる人、辛い思いをしている人、涙を流している人に優しく声をかけてくださるお方なのです。みんなの周りに、そんな人はいないかな?もしいたら、イエスさまのようにそばに近寄って、一緒にお話をしたり、遊んだり、おやつを食べたりしてみようよ。だって、教会に来ているお友達はみんなイエスさまのお弟子さんなのだから。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□53番 「しゅにしたがいゆくは」
□改訂版119番 「主に従うことは」
・誰かに声をかけてもらったり、誰かと一緒に食事が出来ることの喜びについて、分かち合ってみましょう。その誰かが、イエスさまだったとしたら?
・ 現代社会における税金の役割と実際の使われ方、またその徴収方法について調べてみましょう。また税金が、本当に必要な所に使われているか?神が喜ばれるお金の使い方、使われ方とはどのようなものなのか、考えてみましょう。