2018年5月6日 復活後第5主日
ヨハネ15:11-17 使徒11:19-30 Ⅰヨハネ4:1-12

今週の聖句

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」
ヨハネによる福音書15:12

ねらい

主イエスの与えた「新しい掟」とは、どこが新しいのでしょうか? それは、主イエスは「わたしがあなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい」と語られているという点です。旧約では「自分自身を愛するように」と基準が自分自身に置かれていたのに対して、新しい掟は、主イエスご自身の姿にその根拠が置かれているのです。この言葉は「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と続きます。ここに示されているのは十字架の主イエスです。私たちも、他者との関係の中で愛と赦しを経験します。その中にこそ、各自に与えられている小さな十字架が秘められているのです。

説教作成のヒント

互いに愛し合えと言われても、愛することの出来ない私たちの現実があります。その現実を誰よりも主イエスはご存じでした。従って、無理にクリスチャンぶったり、善人ぶる必要はないのです。あの威勢ばかり良くて、肝心の時には弱くふがいなかったペトロが、殉教を恐れずに宣教をすることが出来たのは、主イエスの愛と赦しを実際に体験したからです。主イエスの愛と赦しを体験したものだけが、それを分かちあうことが出来るのです。

豆知識

「愛」は仏教では一種の煩悩でしかありません。異性への愛、親子の愛、友人への愛、それらは「執着」に他ならないからです。ですから、江戸時代に最初に聖書の言葉を日本語に翻訳する時、「愛」という言葉は使われませんでした。そして聖書の愛を表現するために使われたのが「お大切」という言葉です。これは優れた翻訳だと思います。愛しなさいと言われても、私たちはどうしたって愛せない人が存在します。しかし、どんなに嫌いな人であっても「大切」にすることは出来ます。また「大きく切る」と書くこの言葉は、御自分の命を十字架の上に捧げて下さった主イエスの愛を文字通り表現しています。また、仏教で愛は煩悩としての「執着」ですが、聖書の神さまは私たちが大切で大切でたまらない。一人もその命を失いたくないという神の愛ゆえの執着なのです。この神さまの執着がなければ、私たちとっくに滅んでいたことでしょう。

説教

日本キリスト教団銀座教会の名誉牧師に渡辺善太という有名な先生がおられました。善太節と呼ばれるユニークな語り口の説教者で、また見る者をどきっとさせる説教題をつけることでも有名な方でした。 この渡辺善太先生の説教に「偽善者を出す処」というのがあります。偽善者を出す処、それは教会であり、教会には必ず偽善者が出ると語るのです。

皆さんはいかがですか? 偽善者と聞いて「どきっ」としないでしょうか。特にクリスチャンホームの方は、両親や教会に反発したくなることが時々あるのではないでしょうか? それは両親が教会で見せている姿と、普段生活している姿に大きなギャップを見つけるからではないでしょうか。言っていることとやっていることが違う。外面と内面がまるで別人。そのような姿に子ども達は幻滅してしまう。両親もそのことを子どもに指摘されると赤面し口をつぐまざるを得ないふがいなさを感じる。そんな経験はないでしょうか。それは、自分にないものを無理に行おう(演じよう)とするからでてくる綻びのようなものです。

主イエスは私たちに信仰を求めておられます。しかし、この信仰は、私たちの中にもともとあるものではありません。ないものをあるように見せようとするから問題が起こるのです。むしろ、信仰とは与えられるものだと思います。それをきちんと受け取ることができることこそが信仰なのです。

例えば、月は光って見えますが、それは太陽の光を受けてそれを反射しているためです。月自身が光を発しているわけではありません。磁石にくっついている金属は、他の金属ともくっつくことが出来ます。しかし、磁石にくっついていなければ、金属どうしは互いにくっつく力はありません。磁石につながっていることによって金属同士がくっつき合う力が伝わっていくのです。また、最近は電車やバスに乗るのに、ICカードを用います。JR西日本ではICOCA、東日本ではSUICAというのがあります。このカードの特徴の一つは、カードの中に電池がないということです。ICカードですから、あのカードの中にはICと呼ばれる電子回路が入っています。当然、電気がないと動かないわけです。それじゃあ、どうやっているかというと、あのカードの中にアンテナがあって、改札にかざすと改札から出ている電波をキャッチして電気を起こす仕組み、理科で習った電磁誘導という原理です。

私たちが命じられている愛も同じことなのです。主イエスが私たちを愛して下さっているその愛を体一杯に受けて、受けることから自ずと出てくる愛です。何も私たちの側にバッテリーを持ってなくて良いのです。あったとしても、どうせすぐに上がってしまうようなバッテリーなのです。そう、私たちは私たちの空っぽの井戸から水を無理に汲まなくて良い。そうではなく、命の泉である主から命の水を頂くのです。それを携えていくのです。

私たちが愛せないのは、私たちが主イエスの愛を良く知らないからです。体験していないからです。ですから私たちが自らの愛の足りなさに嘆く時、私たちは愛する力を増し加えたまえと祈りたくなります。しかしむしろ、主イエスの愛が見えるように、感じられるように、この目と耳を開いて下さいと祈るべきなのです。主の愛に触れた時、私たちは動き出さずにはいられなくなるのです。主イエスがまさに、祈りの人でありました。主ご自身が父なる神さまから力を与えて頂いていたからこそ、あのようなお働きが出来たのであります。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌” はこどもさんびか”(日キ版)より

□141番 「ウリエイウッソン」

□改訂版108番 「ウリエイウッソン」

聖書クイズ

(Lv.1)「わたしがあなたがたを○したように、互いに○し合いなさい」、○に入る同じ文字は何でしょう?(答え:「愛」)

(Lv.2)「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの○である」「○のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」○に入る同じ文字は何でしょう?(答え:友)

(Lv.3)16節、「あなたがたが出かけて行って実を結び」とありますが、先週の箇所(今日の箇所のすぐ前)ではイエス様はある果物を用いてたとえ話をされました。さて、どんな果物でしょう?(答え:「ぶどう」)

(Lv.4)今日の箇所は、イエス様の長い説教の一部です。さて、そのお話は、どこから始まっているでしょう?ヒントは、「さて、○○○の前である」という言葉が出てきます。(答え:13章1節から。厳密に言うと、お話は12節から)

(Lv.99)来週、再来週は特別な教会の暦です。さて、なんという日でしょう?(答え:「主の昇天主日」「聖霊降臨日」)

話してみよう

① 他人に何かを与える場合には、自分自身がそのものを持っていることが前提です。

もし、自分が持っていないのに他人に与えようとしたら、どうしたらよいでしょうか。

② 他人を愛することは簡単なことでしょうか、難しいことでしょうか? なぜそのように思った   のでしょうか話し合ってみましょう。

③ 「大切にする」ということはどういうことでしょうか? 「愛する」という言葉を「大切にする」と置き換えてみたらどうなるでしょうか?

やってみよう

☆お母さんにプレゼント贈ろう

<用意するもの>

マグネットシート(100円ショップでも売っています)、油性マジック、はさみ又はカッター、プレゼント用の袋、リボン

※あらかじめシートを5~6センチ角(1人分)に切っておく。①マグネットシートに好きな絵を書く

例)お母さんの顔、お母さんの好きな物など

②絵に沿ってハサミで切ると冷蔵庫マグネットのできあがり

きれいにラッピングして、お母さんに感謝の言葉を添えてプレゼントしましょう。

・お母さんを教会学校に招待して親子で作ってもいいですね。