本来なら最終主日として「終末」について語るべきでしょうが(テキスト自体が終末のテキスト)、対象が小さな子どもたちなのでこだわりません。ただ、当たり前とも思える小さな行いが、イエスさまを喜ばせるものとなっていることを自然な形で伝えていければと思います。
上記のように終末時の裁きについては取り上げません。ですので、前半部分の、自然な、意図しない行いをイエスさまはしっかり喜びをもって見ていてくださる、といった内容でまとめていきたいと思います。特に、「食べさせ」「飲ませ」「宿を貸し」「着せ」「見舞う」などは子どもたちの現実感覚からは遠く離れていますので、子どもたちの現実感覚の中で語れるかが知恵の出しどころでしょう。
特になし
今日は、皆んなならどうするか、いろいろと聞いて見たいと思います。もし、隣の席の子が鉛筆を忘れちゃったら、皆んなならどうする?(貸してあげると回答があれば、そうだね、と応答する)もし、お友達と遊んでいて、その子がころんじゃって、痛そうにしていたらどうする?もし、先生に注意されて「しゅん」となっている子がいたら、皆んなならどうする?もし、皆んなが遊んでいる時に、ある子がポツンと一人ぼっちになっていたら、皆んなならどうする?もし、お友達が病気で学校(幼稚園)を休んだりしたら、皆んなならどうする? その休んでいる子に宿題とか、お手紙とか持って行って、って先生にお願いされたら、どうする?もし、悲しそうにしている子がいたら? もし、寂しそうにしている子がいたら? 仲良しの子でもなければ、なかなか声はかけづらいし、どうしていいか分からないけれど、なんだか気になったり、大丈夫かなって思うかな?
そう…、みんな、すごいね。ちゃんと出来てるんだね。えっ、別に当たり前…。そうだよね。特に大変なことでもなく、きっとみんな普通に普段からしていることだよね。でもね、それがすごく大切なことなんだ。なにげない、ちょっとしたこと。ちょっとした親切、ちょっとした思いやり、ちょっとした手助け。別に、それをしたからといって、先生も、お父さんお母さんも、友だちも、誰も褒めてくれないかもしれないけれども、それほど、どうってことない、当たり前のことかもしれないけれども、イエスさまは喜んでおられるんだ。そんな小さなことも見逃さないで、良くやったね、って褒めてくださるんだ。それは、この私にしてくれたことと同じだよって。
そういった当たり前の、普通の、小さなことを、大人になってもちゃんとしていったら、きっとイエスさまとお会いする時、いっぱいご褒美をくださるんじゃないかな。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□ 35番 「しゅわれをあいす」
□ 改訂124番 「愛の主イエスは」
(Lv.1)46節、正しい人には何が与えられるでしょうか?(答え:永遠の命)
(Lv.2)今日のお話では、「羊と山羊」、良いものとされていたのはどちら?(答え:羊)
(Lv.3)34節の「王」とは誰のことでしょう?(ヒント:31節、栄光の座に着いた人の子、と同一人物です)(答え:イエス・キリスト)
(Lv.4)今日の箇所は「裁き」についての箇所でした。それでは、守るべき「掟」について、イエス様はどんなことを言われたでしょう?(ヒント:二週間前の聖書箇所(マタイ22:34-40)です)(答え:「神を愛しなさい、隣人を愛しなさい」)
(Lv.99)今日は「聖霊降臨後最終主日」でした。では、今年の「聖霊降臨日(ペンテコステ)」は、何月何日だったでしょう?(答え:6月4日。随分前ですね)
今日は次のことばを書きましょう。『わたしの兄弟であるこの最も小さい者にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。マタイ25:40』
絵本「くつやのマルチン」のお話をみんなで聞きましょう。
(絵本は教会の他、図書館などにあるかもしれません。また、以下のURLなどから動画を見ることも出来ます)
https://www.youtube.com/watch?v=_D1nNw7WYBI
来週のために、ロバの絵や写真をさがして下さい。
・イエスさまが大切に思っている、今日来ているお友だちの、良いところをお互いに伝
え合おう。
・自分が気が付かない、お友だちや自分の良い面もあったかな?
・イエスさまは、良い面だけを見るのではなく、どんなみんなでも愛してくださっている。 イエスさまのように、どんな人でも、どんな自分でも大切にできるようにしたいですね。 「イエスさまがあなたのことを大好きと言っているよ。」と声に出して、お互いに伝えてみよう。