今回のねらいは、中心聖句にあるように「備える」というところにあると思います。そこで、教会学校に来ている「今」と結びつけながら話したいと思います。
譬え話を紐解くヒントは、あまり細部にとらわれない、ということでしょう。譬え話とは、本来ある事柄を伝えるために生み出されたものです。つまり、意図がある、ということです。やたらと譬え話に尾ひれをつけるよりもその意図を掴んで、子どもたちが理解しやすい現代的たとえにしていくことが大切ではないでしょうか。
この譬えに用いられているともし火について。オリーブ油に灯芯を浸した「アラジンの魔法のランプ」のようなものだったという説と、松明のようなものだったという説とがあるようですが、この話の様子から前者の方だったと思います。
今日の聖書のお話って、ちょっと意地悪だと思わない。だって、油を余分に持っていた人は助けてくれないし、その家の主人も油を買いに行っている間にもうドアを閉めてしまって中に入れてくれないなんて…。
確かに、今日の聖書のお話ってへんてこりんなところがあるようにも思うんだけれど、大切なことは、ちゃんと準備をしておきなさい、ということだと思うんだ。だって、ちゃんと準備をしていた(余分に油を用意していた)女の子(中学か高校生くらいのおねえちゃんたちかな?)たちは、結婚式に招かれて美味しいご馳走を食べられたのだから。
みんなは学校や幼稚園などで避難訓練なんてしたことあるかな? 地震の時はどうする(子どもたちに聞いてもよい)? そうだよね。机の下にさっと逃げ込むよね。そして、落ち着いたら、先生の言うことを聞いて、みんなで並んで校庭(園庭)なんかに避難すると思う。でも、訓練の時ってさ、ちょっと変だよね。地震でもないのに、先生が「今、地震が起きました。机の下に入って」なんて言うし、結構みんなぺちゃくちゃ喋りながら(先生に注意されたりしてね)だらだらと歩いて行ったりする。でもね、そうやってちゃんと訓練をするから、もし地震が起きても机の下に逃げ込むことができると思うんだ。そうすれば、天井から何かが落ちてきても怪我をしないで済むからね。
そういったことを「準備」とか「備え」とか(ちょっと難しいけれどもね)って言うんだ。備えておけば、いざというときに助かるからね。
今日の聖書のお話もそう。ちゃんと準備をしましょうね、ということ。では、何のための準備なんだろう。イエスさまとお会いするための準備、ということじゃないかな。だって、急にイエスさまが来ても、びっくりしちゃうじゃない。では、どうやって準備したらいいんだろう。そう、今日のように、ちゃんと教会学校に来て、聖書の話し、イエスさまの話しを聞くこと。お祈りを覚えること。そういったことが準備になるんだ。だから、これからも、みんなはこの賢いおねいちゃんたちのように、しっかりと準備をしていって欲しいと思います。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□ 51番 「わたしはしゅのこどもです」
□ 改訂127番 「朝日うけて」
(Lv.1)賢い乙女と愚かな乙女、合計すると何人だったでしょう?(答え:十人)
(Lv.2)賢い乙女達は予備を持っていたけれども愚かな乙女達は持っていなかったものって何でしょう?(答え:油)
(Lv.3)今日の箇所のすぐ後に出てくるたとえは、何というたとえでしょう?(答え:「タラントン」のたとえ)
(Lv.4)マタイ22章にも、結婚式に関するたとえ話があります。何というお話でしょう?(答え:「婚宴」のたとえ)
(Lv.99)今日は聖霊降臨後第24主日でした。来週は聖霊降臨後〇〇主日です。さて、〇〇に入るのは何でしょう?(25、ではありません)(答え:「最終」)
・グッドタイミング!!と思った時のことを、話してみよう。
・ふしぎだけど、うまく行かないと思ったのにうまく行ったことってあるかな?ある人はそのことを、お友達に教えてあげてください。