2017年10月22日 聖霊降臨後第20主日
マタイ 21:33-44 イザヤ 5:1-7 フィリピ 2:12-18

今週の聖句

「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」
マタイによる福音書21章42節

ねらい

ぶどう園の主人が神さま、農夫が私たち、僕が預言者、息子がイエス様であることを踏まえ、神さまがご自分の創造されたイスラエル(地球)の管理を人間に任されていることを重く受け止める。繰り返し僕を送ってくださったことを更に重く受け止める。イエス様を私たちのもとに送ってくださったこと、そのイエス様が十字架にかけられたこと、そしてそのイエス様が隅の親石とされたことを重く受け止め、感謝する。

説教作成のヒント

ブドウを育てることの大変さ、農家の農作物に対する思いなどを踏まえることにより、私たちの日常の生活から聖書の世界へと話を読み進めることができる。

「農夫たちをどうするか?」という問いに対する「彼ら」の答えに、イエス様が否定も肯定もせず、聖書の言葉で返事をしていることに注目する。

豆知識

ぶどう畑を作るためには、土地の選定、石の撤去、畑の造成、水路の作成、石垣の設置、みはり塔の設置等々と、ぶどうの木を植える前に非常にたくさんの手間がかかる。

ぶどうの収穫は7-9月、従来は村中総出で行った。

旧約聖書においてイスラエルはぶどう畑にたとえられる(詩篇80、イザヤ5:1-7)。

聖書の時代、イスラエルでは基礎を石で、壁を小石や砂を混ぜた粘土や石で家を作っていた。大きな岩から石を切り出して家を作るのでくずになる石は皆捨てられた。

隅の親石、というのは日本の家なら大黒柱のようなもの。

説教

みなさん、この果物を知っていますか?(実物がよいがイラスト・写真でもOK)

そうです、ぶどうですね。聖書には何度も出てくる果物ですね、イスラエルの人たちにとって「ぶどう」はとっても大切な果物だったんです。もちろんそのまま食べたり、ジュースやぶどう酒にして飲んだりします。お祭りやお祝いにも使います。そして時には自分たちイスラエルの国や人のことをぶどうやぶどう畑に、そのブドウ畑をつくった人を神さまにたとえたりします。ぶどうをとるためにはぶどう畑を造らなければなりません。このぶどう畑を作るのがとても大変で、骨の折れる作業なんです。場所を決めたり、石をひろったり、動物が入れないように石垣をつくったり、どろぼうがこないように監視するための塔をつくったり、ぶどう畑を作るために色んなことをしなければなりません。そして自分たちは神さまが一生懸命手間ひまかけて作ってくれたぶどう畑だと考えていたのです。

今日の聖書に書かれてあったイエス様の例え話は、イスラエルの人たちのそんな考え方をもとにして話されています。「ぶどう畑をつくった神さまは、イスラエルの人たちを育てるために、農夫として祭司や民の長老たちにぶどうの世話を頼んだのに、その人たちはぶどう畑を自分の者にしようと、神さまがおくった使いの預言者の言うことも聞かず、ついには一人息子のイエス様を殺してしまう」そんなたとえ話を話されたのです。けれども祭司や民の長老たちは、すぐには自分たちのことが言われているとは気づかずに「ぶどう園の主人が農夫たちをどうするか?」というイエス様の問いかけに「そんな悪人はひどい目にあわせて殺すでしょう」と応えます。そして後で自分たちのことが言われていることに気づいて腹を立てるのです。

こんな出来事がいくつもあって、イエス様は十字架につけられてしまうのですが、今日はイエス様が十字架につけられた理由ではなく、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」というイエス様が最後に語った言葉に注目したいと思います。

 イエス様の時代、イスラエルの人たちは石や粘土でお家を作っていました。そして土台にするのは山の中の大きな石から石を四角に切り出した石でした。その土台の中でも四隅に置く石は親石といわれ、家を支える上でとても大切な石でした。しっかりした、頑丈な、形のよいものが選ばれました。イエス様はご自分のことを、その親石ではなく、親石を作るときにできた削りカスの石だとおっしゃったのです。

 神さまは一生懸命、手間をかけ、そして愛情をこめて、ぶどう園を作りました。そしてその管理を農夫にまかせます。これはイスラエルのことだけでなく、私たちの住む地球も同じだと思います。私たちが地球の様々なところを見て「すいごいなー」とか「きれいだなぁ」と思うのは、神さまが愛情をこめて作ったものだからです。私たちはその地球をどういう風に思っているでしょうか?どんな風にあつかっているでしょうか?たとえ話に登場した農夫たちのように思っていないでしょうか?もし思っているとするなら、家を作る人が捨てた石、農夫が殺してしまった主人の息子、イエス様の言葉をしっかり聞かなければなりません、何より神さまの独り子ですし、神さまと同じように、私たちの生きる地球を、何より私たち一人一人を、大切に愛してくれているからです。

分級への展開

さんびしよう

* 讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□ 88番 「かみさまのあいは」

□ 改訂40番 「かみさまのあいは」

聖書振り返りクイズ

(Lv.1)今日のたとえの題名は何でしょう?(答え:「ぶどう園と農夫」のたとえ)

(Lv.2)33節、「もう一つのたとえを聞きなさい」とイエス様は言われましたが、それではこの直前に話されていたのは何のたとえでしょう?(答え:「二人の息子」のたとえ)

(Lv.3)このたとえを聞いたファリサイ派の人々は、イエス様に何をしようとしたでしょう?(答え:捕まえようとした)

(Lv.4)「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」、これは詩編118編に出てくる言葉です。さて、何節に出てくるでしょう?ほんのちょっとだけ表現が違います(答え:詩編118編22節)

(Lv.99)37-39節に出てくる「息子」、本当は誰のことを言っているでしょう?(答え:イエス様)

やってみよう

☆教会を折り紙で折ろう

話してみよう

・地球がぶどう園だとすると、農夫や僕、息子は誰だと思う?私たちは?

・私たちは地球というぶどう園で、どうやって生きていけばいい?

・ぶどう畑を耕すこと、ぶどうの世話をすること、主人の僕や最愛の息子の声を聞くこと等々って具体的にはどんなことだろう?