イエスキリストを受け入れることによって、「小さい者」を受け入れることができるということを感じあいたい。
「えらい」とか「えらい人」という表現は子供も使う。「えらさ」ということは何なのかを一緒に考えてみたらどうか。
神の目の付け所はいったいどこなのか。この世の評価ではなく、神が評価するポイントや心の状態を改めて考えたい。
この世の価値判断から「どんなに弱くつまらないように見える人間(そのような人は決していないが)」であっても、イエスは受け入れた。「キリストの名によって受け入れる」とは、このようなことである。
私たちは、他者を受け入れるのはなかなかすぐにできることではない。まして自分の心が狭いとき、受け入れることはすぐにできるものではない。子供もこの経験は持っている。★豆知識
「キリストの名によって」受け入れるとは、キリストとのかかわり、関係性によって受け入れるのである。
イエスさまは、1人の子供の手を取り、ご自分のそばに立たせておっしゃいました。その子供は、何か特別な子供ではないでしょう。たまたまそこにいた子供のひとりでしょう。 その子供の手を取って、ご自分の脇に立たせておっしゃいました。「自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国で一番偉いのだ」と。子供は会社の社長さんとか、学校の校長先生のようにえらい人ではありません。でも、全くそのようなえらさとは関係なく、力も無いこの子供を受け入れる者は、イエスさまを受け入れるのであり、それはすなわち父なる神さまを受け入れるのであるとおっしゃいました。
大事なことは、天の国の物差しは、この世のそれと違います。天の国では、命令したり従ったり、速やかさだったりのろまだったり、要領が良かったり悪かったりの区別はありません。 そこに入るために求められていることは、色眼鏡で見るのではなくて、素直な心で、天のお父さまの示されることを信じ受け入れることです。
弟子たちが、宣教して成功して帰った時、イエスが感動されたのも、子供のように新しい教えを受け入れる人々の心だったのです。
勉強も運動も一所懸命することは大事なことです。でも、勉強ができる人ばかりを神さまが愛し、運動できる人ばかりを神様が愛するとしたら、優秀な人ばかりが神さまに喜ばれる人だということになってしまいます。神さまの目の付け所は、神さまの気持ちを受け入れる人であり、どんな人でも、神さまは愛していてくださるのです。子供は親がいなければ生きていくことはできません。その親が神さまだということをイエスさまは今日の言葉で言っているのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□58番 「かみよこのいのり」
□改訂17番 「てをあわせ」
(Lv.1)弟子たちが、「だれが天の国でいちばん偉いのでしょうか」と聞いた時、イエス様はどんな人を呼んできましたか?(答え:子供)
(Lv.2)イエス様は、どのようになりなさい、と弟子たちに言ったでしょうか?(答え:「自分を低くしてこの子供のようになりなさい」)
(Lv.3)今日のお話は、どこの街での出来事でしょう?今日の箇所の少し前に出てきます。(答え:カファルナウム)
(Lv.4)今日の箇所の少し後、20章では今日の箇所と同じような内容のことが出てきます。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、○○になり、いちばん上になりたい者は、○○になりなさい。」さて、なんと言っているでしょう?(答え:マタイ20:26-27 あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。)
(Lv.99)Lv4の箇所の直後では、「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」とイエス様が言っています。これは、誰のどんな出来事を示しているでしょうか?(答え:イエス様の十字架の出来事)
1.こどもの数だけ椅子を並べる。
2.小学生の場合椅子に1点~から順に点数を書いて置く
3.幼児の場合、王様、お姫様、家来、料理人、子供、などの絵を描いて椅子の背中に貼って置く。
4.教師は楽器を弾くか、タンバリンや太鼓を叩いてこどもは椅子の廻りを歩く。
5.音が止まったらこどもは急いで好きな椅子に座る。
6.何度か繰り返して遊ぶ。小学生の場合は自分が座った椅子の点数を足していっても良い。
7.何度か遊んだ後で、点数の一番多かった人。王様に何度なった?お姫様に何度なった?と聞いてみる。
点数が一番多かった人が一番偉いと思う人?
王様になった人が偉いと思う人?などみんなで話してみる。
お弟子さんが「天国で一番偉いのは誰ですか」と聞いた時、イエスさまはなんとお答えになったでしょう。
イエスさまは「こどものようになる人が天国では一番偉い」といわれました。
・「一人が欠けてはならない」「一人を受け入れること」を体験してみよう。
その体験を通して、神さまが望んでいることであり、喜ばせる理解を、子どもたちと共有してみよう。
例:1)円になってから、ゆっくりと、膝をかがめて後ろの人の膝に座る
2)円になって相手の背中を支え合ってみよう。
信頼していないとできないのであり、心を打ち解け合わせるアイスブレイクでもある。
教師らは創造的に行う事をしてもよいだろう。