子供たちに、お話をする教師たちに、私たちに、「あなたにとって、イエス・キリストはどんな人であるか」という問いかけがあることを伝えたい。
イエス・キリストこそが、「メシア」である(救い主である)というのは知識ではなく、生活全般にわたって、あなたはイエスとどう生きるかということである。
教会はこの信仰告白を集められたところに成り立つ。
ペトロの弱さを知っているイエスさまは、その弱さを持つ集団である教会を用いる。
私たちは決してゆるぎない生き方や思いを持っているわけではない。しかし、そのような私たちを「よし」として、(教会の群れとして)支えあうことを神は願っておられる。
生活の中でイエスならどう考えるかということを教師の生活と絡めて語ることができよう。
「メシア」をギリシャ語に訳した言葉が「キリスト」である。
「イエス」というのは名前だが、「キリスト」というのはメシア、つまり油注がれた神の僕という称号ある。
私たちが教会でいつも唱える信仰告白(クレドーといいます)は、「私にとってイエスさま」は、このような方(救い主です)という告白であり、それをみんなで確認してきた歴史がある。
イエスさまの生まれる前の時代からずっと人々は、メシア(救い主)をまち望んできました。自分たちのこの苦しい生活をいつかは楽にしてくれる方が来るだろうという救い主を待ち望んでいたのです。イエスさまは「人々は私のことを何と言っているか」とお尋ねになり、お弟子さんのペトロはイエスさまに向かって、「あなたはメシア、生きている神さまの子」と言ったのです。あなたこそ、私達が待ち望んでいた真の王であり、真の祭司であり、真の預言者であると、ペトロは神さまを思う思いを告白したのです。
イエスさまはご自分がキリストであることをさまざまな形で、弟子たちに教えてこられましたが、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と質問するのです。人々がどう言っているかではなく、「あなたがた」は、「あなた」はどう言うのかと、イエスさまは尋ねます。神さまはいつも私たちを愛してくださる方です。その神さまに対して、「あなたこそメシア、生ける神の子です」とイエスさまに向かって答えていくならば、いつも弱さをもって生きる私たちを、ささえて、力を与えてくださいます。生きていくいのちの力を与えてくださいます。これが私たちの集まっている教会の姿でもあります。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□67番 「ペテロは」
□改訂53番 「ペトロは」
(Lv.1)人々はイエス様のことを何と言っていたでしょう?答えは四つあります。(答え:洗礼者ヨハネ、エリヤ、エレミヤ、預言者の一人)
(Lv.2)13節、「人の子」って誰のことでしょう?(答え:イエス様。イエス様はよく自分のことを「人の子」と呼びます)
(Lv.3)ペトロはイエス様のことを何と言ったでしょう?(答え:メシア、生ける神の子)
(Lv.4)旧約聖書には「エレミヤ書」という書物があります。1章1節は、何ページにあるでしょう?(答え:1172頁)
(Lv.99)「メシア」というのはヘブライ語(イエス様の話していた言葉)で「救い主」の意味です。それではギリシャ語(新約聖書が書かれた言語)で同じ意味の言葉は何でしょう?みんなが良く知っている言葉です。(答え:「キリスト」 厳密には両方「油注がれた者」という意味です)
イエスさまは色々なところで病気の人を治したり、沢山の人にパンを食べさせたりされました。
そこで人々はイエスさまのことを「洗礼者ヨハネ」だとか「エリヤ」とか「エレミヤ」と言う預言者だとか、また別の「預言者の一人だ」とか色々と知っている偉い人の名前を言って噂をしていました。
そんな時、イエスさまは「あなたはわたしを誰というか」とペトロさんに聞かれました。
では今から私がみんなに聞きますよ。
1、○印のカードと×印のカードを子供達に配りそれぞれ両手に○と×のカードを持たせる
2、教師は「じゃあ聞くよ、私が正しい答えを言ったら○のカードを持っている手を上に上げてね。間違いの答えを言ったら×のカードを持っている手を上げて下さい。
3、ではききますよ。私が言ったらすぐに○か×のカードを上にあげてね
イエスさまは、、、、、、、、、、(とここで長く引っ張って)エリヤ!
イエスさまは、、、、、、、、、、預言者!
イエスさまは、、、、、、、、、、メシヤ!
と色々な名前を言って手を上げさせる。テンポを速くしたり、最初を長くひっぱって紛らわしくしてみたりする。
では最後にみんなで言ってみましょう
「あなたはメシア、生ける神の子です」
□手立て
お母さんでも、お父さんでも、身近な人の絵を描いてみたらどうだろうか。そして、その絵の人を、どのようにとらえているかを説明し、その理解するところを分かち合ってみよう。
□その目当て
その説明をする中で、自分がどのようにその人をとらえているかに気づく。そこから発展的に、では、イエスさまについては、私たちはどうだろうか。そして、どのように、私たちに伝えているのかを考えたい。加えて、神さまが、わたしに隣人に対してどのように望んでおられるかを考えることもできようか。
・少し高学年ならば、「使徒信条」を一緒に考えてもよいかもしれない。使徒信条は、どのように神を、イエスさまを、聖霊を理解しているかを知る機会になるかもしれない。