TNG The Next Generation

2017年9月10日 聖霊降臨後第14主日

福音書 マタイ15:21-28
第一の日課 イザヤ56:1-8
第二の日課 ローマ11:25-36

今週の聖句

「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」
マタイによる福音書14:28

ねらい

神さまの恵みは、広く開かれており、すべての人に与えられるものということを伝えたい。

一人の者が救われるのに愛してやまない祈りがあり、神の愛があることを伝えたい。

説教作成のヒント

「女」(母親)は、異邦人であり、深い苦しみを抱えながら、イエスの前に出ていった。「お助けください」の願いと祈りは、異邦の女に開かれる。

熱心さが信仰と結びついて理解されやすいが、最後は神さまがお決めになることだということを(教師は)自覚しつつ子どもたちに伝えることが必要であろう。

豆知識

「子供たちのパン」という表現は、神の約束の民ユダヤ人に約束された救いを表すが、今、ユダヤ人だけにとどまらないことをイエスは教えている。「パンくず」という表現も、「子犬」という表現も、母親は、自分がユダヤ人でないことを自覚しての表現である。

説教

重い病気を抱える娘の癒しを求めて、一人の母親はイエスさまの前に出てきました。

イスラエル人から見ると軽蔑された人たちでもあったカナン人の母親は、娘が悪霊につかれて苦しんでいるのを見て、イエスさまに「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」とお願いをしました。母親は必死であきらめず、イエスさまの前にひれ伏すのです。イエスさまはその願いに、「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と答えます。そして、イエスさまは「子どもたちのパンを取って、子犬にやってはいけない」とも言われたのです。

 神さまは、すべての人のためにあり、特別にイスラエルの人々のためだけにあるのではないとつぶやいたのです。あなたは私の神でもあるのですというのです。このように神さまの恵みは、まずイスラエルに与えられても、神さまの愛や癒しは、すべての人に対してあふれ出ていくのだというのです。イエスさまは、「婦人よ、あなたの信仰は立派だ」と言って、その信仰を賞賛されました。母親は必死で娘の病気の癒しを求めるのでした。そのような中で、彼女は神さまをきちんと見つめながら、お祈りをしていたのです。

どんな人も救われます。神さまの恵みはどんな人にも与えられるのです。

この母親の信仰の立派さや大きさとは、何であったのでしょうか。それは、この母親が実に真剣に、実に熱心に祈った、ということです。実に真剣に、イエスさまに迫った、ということです。この母親の、熱心な祈りが、イエスさまの目を振り向かせ、イエスさまの気持ちを動かすほどのものであったのです。

神さまに頼ることが、大事なことであり、失望せずに、祈り続けたいと思います。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□120番 「どんなときでも」

□改訂129番 「どんな時でも」

聖書振り返りクイズ

(Lv.1)今日のお話の女性は、イエス様に何をお願いしたでしょう?(答え: 悪霊に苦しめられている娘を助けてほしい)

(Lv.2)「ダビデ」って誰でしょう?ヒントはマタイ1:6です。(答え:昔の王様。ダビデ王の時代、イスラエルの国は最も繁栄しました)

(Lv.3)今日のお話の舞台は「ティルスとシドンの地方」です。これは、何という地域でしょう?(大人の)聖書の巻末の地図「6. 新約時代のパレスチナ」を見てみましょう(答え:フェニキア。この時代には「国」ではなくローマの直轄地になっていました。もっとも、それはユダヤも同じです)

(Lv.4)イエス様は普段は「カファルナウム」という町を中心に活動していました。この町は何という湖のそばにありますか?(答え:ガリラヤ湖)

(Lv.99)今日のお話に出てきた女性は、イエス様から見れば「外国人」でした。この「外国人」のことを、違う言い方で何というでしょう?ルカ2:29-32(ヌンク・ディミティス)の中にあります。(答え:異邦人)

やってみよう

☆パンをいただく

机の下に奇麗な紙を敷いてちぎったパンを子供の数ほど置いて置く。

1、みんな犬になって机の下で手を使わないでパンを食べてみましょう。

2、こんどは机の廻りに椅子を置いてきちんと座りましょう。

3、一人一人の前にパンの入ったお皿を置いてみんなでいただきましょう。

みんなどっちの食べ方が美味しいと思った?

机の下で食べるのもちょっと面白いけど、毎日この食べ方だったらどう?

今日はわざわざパンを机の下に置いたけど、もし誰かが食べてこぼしたパンだったらどう?たべたいと思う?

パンは目に見えるけど、今日出て来たカナンの女の人が欲しかったのはパンじゃなく、子供の病気を治して欲しかったのです。目に見えないイエスさまの力、恵み、愛、が欲しかったのです。でもイエスさまはカナンの女の人がイスラエルの人じゃないから「イスラエルの人=子供、のパンをとってカナンの人、外国の人=子犬、にあげるのはよくない。と言っておられます。

女の人はなんて言った?聖書をみると「しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」今誰か、机の下にこぼれたパンは食べたくない、って言ったね。このカナンの女の人はこぼれたものでも良いから、子供がこぼしたお恵みでも良いから下さい。とお願いしました。なんとかして病気の子供を治して欲しいと言う気持ち、そしてイエスさまなら治して下さると、イエスさまのお力を信じて言ったのです。28節をみんなで読んでみましょう。

話してみよう

・祈りと願いは、近い関係にあるだろう。それぞれの祈りも、願いも、小さな紙に書き出してみるのはどうだろうか。もちろん、本音は書けないかもしれない。しかし、それは、承知することとして、書き出した紙の中で、出てくるのは、願いや希望かもしれないが、みんなで、祈りだとか願いだとか、希望というものについて、共有し、話し合い、気づく手掛かりにできるだろう。信仰は、神さまと関係していることを気づきたい。

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