世界の平和、神と人との平和、人と人との平和、人の心の平和など、さまざまな平和を覚える日の聖句として、今週の聖句があげられている。どこか遠くの平和ではなく、キリストから絶対的に愛されているこの「私」と「あなた」という観点でとらえ、身近で日常的な題材で平和を考える。
幼児から小学校低学年向けに説教をする場合、第一にすべて子どもたちが知っている言葉を使わなければならない。「愛する」という言葉ですら彼らには実感がわかないだろう。置き換えが必要であり、これが意外と難しい。
ヨハネ15:9-12にある「愛する」「愛」の原語は、すべて「アガパオー(動詞)」「アガペー(名詞)」であり、神の絶対的愛を意味する。これは、人間が本来持っていない愛であり、キリストが弟子たちを愛することによって与えてくださった愛である。キリストの愛がいつも人間の愛に先行している。
今週の聖句は、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」ヨハネによる福音書15章12節です。イエス様がお弟子さんたちに語られたお言葉です。きょうは、イエス様のこのお言葉を学びましょう。
宮城県の気仙沼という町にある保育園で働いている、一人のお姉さんがいます。栄養士と言って子どもたちの給食を作るお仕事をしています。このお姉さんにはとてもつらい出来事がありました。今から6年前の3月、日本の東北地方で大きな地震があって、海から大きな津波が押し寄せてきて、たくさんの人が亡くなり、たくさんの家が壊されたり流されたりしました。「東日本大震災」って言うんですが、聞いたことがありますか? このお姉さんはその時高校生で、一家8人で暮らしていました。お父さん、お母さん、きょうだい四人、おじいさん、おばあさんの8人です。ところが、地震と津波のためにお姉さん以外の7人がみんな死んでしまって、たった一人残されたんです。家も流されて住む所もなくなってしましました。
みんな考えてごらん。おうちの人がみんな死んでしまってたった一人になってしまったらどんな気持ちだろうか。このお姉さんの苦しみや悲しみは、私たちには考えられないくらい大変なものだったと思います。お姉さんにはたくさんの助けが必要でした。ですから周りの人たちは、お姉さんと一緒に泣いてくれたり、毎日の食べ物や着るものだけでなく、生きていくためにありとあらゆることをして助けたんです。やがてお姉さんは元気を取り戻しました。そして、自分を支えてくれた気仙沼の人たちを、今度は自分が支える仕事をしようと保育園で働くようになったんです。「互いに愛し合う」って、助け合う、支え合うということなんですね。こうして、一人ぼっちになって心が大嵐になってしまったお姉さんは、みんなの助けで、心に新しい平和をもつことができたんです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□77番 「せかいのこどもは」
□改訂125番 「イェス、イェス」
①鳩の形に画用紙を切り、そのなかに自分で考えた、平和のことばを書く。
②それを壁に貼る、またはしおりにする、持って帰って家族と平和について話し合うなどに使いましょう。
(Lv.1)今日の福音書に、「愛」という言葉は何回出てきたでしょう?(答え:7回)
(Lv.2)イエス様は、私達にどんな掟を与えましたか?(答え:「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」)
(Lv.3)「父」って誰のこと?(答え:父なる神様)
(Lv.4)「互いに愛し合いなさい」という教え、イエス様は違う言い方もしています。何と言っているでしょう?マタイ福音書22章にあります。(答え:「隣人を自分のように愛しなさい」)
(Lv.99)今日は「平和の主日」の礼拝です。これは、70年程前に起きた大きな出来事に由来しますが、それは何でしょう?(答え:戦争 / 原爆投下)
Ⅰ
①先週1週間を振り返って、いやな思いをしたこと、とてもうれしかったことを思い出して書き出してみよう。そして、みんなに話してもいいと思うことを発表してみよう。
②いやな思いをしたことと、とてもうれしかったことの違いは、どこから生じているのか考えてみよう。今週の聖句と違うところ、同じところは何だろうか。
Ⅱ
ヨハネ福音書の復活物語(20章)では、復活されたイエスが弟子たちの前に姿を現された時、必ず「あなたがたに平和があるように」と言われている。平和=シャローム=主(神)の平和とは何か。弟子たちの置かれた状況から、また今日の社会状況から「平和」の持つ意味を考えてみる。