「良い実」は私たち人間の努力の結果ではなく、「良い木」であるイエスさまから来ることを知る。
「あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない(ヨハネ15章4節)」とある。これは逆に言えば、「わたし(キリスト)につながっていれば、実を結ぶことができる」ということになる。
「実」と訳されているギリシャ語は、「結果」「行い」とも訳される。
「キリスト教信仰(神さまを信じること)は、サル型でしょうか? ネコ型でしょうか?」
ある人が書いた、キリスト教の本の最初にこんな質問がありました。サル型、ネコ型と言われて、サルやネコの形を思い浮かべた人もいるかもしれませんね。サルは2本足で、ネコは4本足とか。この質問をした人は、サル型、ネコ型について、こんなふうに説明しています。「それらは親子の様子を指しています」と。動物園などで見たことがあるかもしれませんね。サルの親子は移動するとき、子猿が下から母ザルにつかまっています。ネコの親子は、母ネコが子猫の首のあたりをくわえて、移動するのです。
ここでもう一度聞きます。「神さまを信じることは、サル型でしょうか? それともネコ型でしょうか?」
答えはネコ型です。神さまを母親、私たちを子どもに当てはめて考えると、それがわかります。サル型は子どもである私たちが、神さまにしっかりとつかまっていなければなりません。手に力があって落ちないようにつかまっていられるといいのですが、ずっとつかまっていると疲れてくるでしょう? 力が足りなくなったり、手がすべったりして落ちてしまうかもしれません。神さまを信じるために、私たちがどれだけ頑張れるか、というのがサル型になるでしょう。でも、キリスト教で神さまを信じるということは、サル型ではなくてネコ型なのです。それは神さまが私たちをそっとつかまえてくださるということです。そうすると、たとえ私たちの力が弱くなったとしても、決して神さまから離れてしまうことはないのです。母ネコにくわえられた子猫を見たことがありますか? そのとき子猫は少しも力を入れていません。すべて母ネコにまかせているだけです。神さまと私たちの関係も、母ネコと子猫のようだと教えられます。すべてが神さまにかかっているんですね。
「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ」と言われています。私たちが頑張って良い実を結ばなければと考えるかもしれません。でも、良い木であるイエスさまにとらえられていれば、私たちは良い実を結ぶのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□51番 「わたしはしゅのこどもです」
□改訂版123番 「わたしは主のこどもです」
木の枝を2本用意する。 一方には紙に包んだ飴を糸でこどもの人数以上結びつける・ もう一方には紙くずを小さく丸めたものを飴の紙に包んで同じ数だけ結びつける。
1、良い木は良い実を結び、、、は良い実を付ける、と言う事です。 悪い木は悪い実を付ける、ってイエスさまは言われました。 さあ、どっちが良い木でどっちが悪い木かな? 2、良い木から美味しい実を取りましょう。どっちかなあ、 こどもたちにそれぞれ選ばせて木の実(飴)を取らせる。
3、どっちも同じような木だからどっちが良い木でどっちが悪い木かなかなか分からないねえ。
4、人間もちょっと見ただけでは良い人か悪い人かなかなか分かりません。 優しそうに見えても誘拐犯のような怖い人もいるねえ。 みんなにはどんな良い実ができているかなあ? A ちゃんは優しい実、B ちゃんはよくお手伝いできる実、C ちゃんは強い実、みんな神さまから 沢山良い実をいただいているね。神さまに有り難うをしましょう。(お祈り)
(Lv.1)二種類の家を立てた人が出てきました。それぞれ、どんなところに家を建てましたか?(答え:岩の上と砂の上)
(Lv.2)激しい嵐や洪水のあと、無事だったのはどちらの家ですか?(答え:岩の上)
(Lv.3)その家を建てた賢い人と似ている、とイエス様が言われるのは、どんな人ですか?(答え:イエス様の言葉を聞いて行う者)
(Lv.4)聖書の中で、イエス様の言葉がたくさん書かれている書物を何と言うでしょう(答え:福音書)
(Lv.99)先週のイエス様の言葉はどんな言葉だったかな?(みんなは行えたかな?)(答え:思い悩むのでなく、神の国と神の義を求めましょう)
あなたが悪い実(行いや言葉、思い)と感じるあなたの言動にどのようなものがありますか? 「悪い実」である言葉や行いは、どのように人を傷つけますか? あなたは誰かの「悪い実」 で悲しい思いをしたことがありますか? それについて分かち合ってみよう。 あなたの言動とイエスさまの言動を比べてみよう。