思い悩まないで、神さまに委ねて生きる。
「神の国」は「神の支配」、「神の義」は、「神の正しさ」を意味しますが、私たちが考える「支配」や「正しさ」との違いを考えてみましょう。
「神の国と神の義」を求めるのは、神の支配と正しさに委ねて生きるということです。
イエスさまは言われました。「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ(ルカ17章21節)」。「神の国」とは、神の支配のもとに私たちが生きるとき、すなわち神を主語として生きる私たちの間に存在するのです。
「神の義」とは、その正しさということです。私たちの正しさは、人を裁いてしまいますが、神の正しさは人を赦し、愛するのです。
みんなのまわりに赤ちゃんはいますか? 赤ちゃんはお腹がすくと泣きますし、オムツが濡れていたり、眠くなったりしても泣いてそれを知らせます。お母さんや周りの大人がその泣き声を聞いて、おっぱいをあげたり、オムツを替えたり、抱っこをして寝かしつけたりします。赤ちゃんは自分では何もできないので、泣いて知らせるしかないのです。みんなは赤ちゃんより大きいから、おうちの人に口で伝えることができるでしょう。でも、みんなもまだまだ、大人の人たちに助けてもらう必要がありますね。
もっと大きくなっていくと、今よりいろいろなことが自分でできるようになるでしょう。そうすると、だれかにお願いしなくても何とかやっていけると思うかもしれません。やがて大人になると、お腹が空いたからって泣かなくても、自分で何かを作ったり買ってきたりすることができます。いろいろなことが自分でできるようになることは、すばらしいことだと思いますが、自分でできるようになると、いろいろなことを心配するようになってしまいます。たとえば、「明日のご飯は足りるかなぁ」とか「明日は何を着ようかなぁ」とか、いろいろと心配が増えていきます。赤ちゃんのときには心配していないのに、大人になると心配が増えるのは、何でもできるからと自分を頼るようになるからだと思います。自分が手に入れたもので、自分は生きるのだと考えてしまうのです。
今日、イエスさまは「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」と教えられています。ちょっと難しい言葉ですね。「神の国」とは、神さまの支配という意味で、すべてが神さまの御手のうちにあるということです。「神の義」とは、神さまの正しさということですが、それは正しくない者を赦し、それでも愛する御心です。「神の国と神の義を求める」ようにと、教えられているのは、神さまにすべてまかせるようになるためです。
赤ちゃんは泣いて、おうちの人に伝えますが、私たちはお祈りをして、神さまに何でも伝えることができます。あとは、ちゃんとお祈りを聞いてくださる神さまにまかせれば、心配はいらないのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□103番 「どんなにちいさい」
□改訂版58番 「どんなに小さい小鳥でも」
空の鳥、野の花(私たちの周りの生き物、自然)が神さまの御手によって、環境に適した美しい姿に創造され、いのちを与えられ、そして育まれていることを子どもたちと分かち合いましょう。
~活動例~
□図鑑や写真などで色々な動物や植物を見る。
□一つをクローズアップして取り上げる。(先生自身が飼っているネコについて、など)
□身近な動物、または植物を実際に見たり触れたりする。
□自然をテーマにしたドキュメンタリー映像を鑑賞する。
聖書には「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。ましてあなたがたにはなおさらのことでないか・・・」と記されています。私たちが、どれ程神さまに愛され守られている存在か知り、神さまの愛の中で安心して毎日を過ごせるように祈りましょう。
(Lv.1)イエス様は、どんなことについて「思い悩んではいけない」と言っていましたか?(答え:『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』)
(Lv.2)代わりに何を求めなさい、と言っていましたか?(答え:神の国と神の義)
(Lv.3)空の鳥を養い、野の花を装うのはどなただとイエス様は言っていますか?(答え:天の父)
(Lv.4)私達はこのイエス様の言葉の通り、まず神様のことを祈り、それから私達が必要とするものを求めるお祈りをしています。さて、何というお祈りでしょうか。(答え:「主の祈り」)
(Lv.99)「ソロモン」って誰?
新約聖書の最初(マタイ1章)に名前が出てきます。旧約聖書の人物図鑑などがあれば調べてみよう。(答え:ダビデ王の息子。優れた王様で、イスラエルの最盛期を築きました)