TNG The Next Generation

2017年4月30日 復活後第2主日

福音書 ヨハネ20:24-29
第一の日課 使徒2:36-47
第二の日課 Ⅰペトロ1:17-21

今週の聖句

「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」
ヨハネによる福音書20章27節

説教作成のポイント

1)うたがうトマスと共にあるイエス

▸「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘痕に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」。どうしてトマスはこのようなことをいったのでしょうか。いろいろな理由を考えることができますが、一つには、この思いはイエスさまの周囲にいた人たちの率直な思いだったと考えられます。イエスさまの死はトマスにとって、「わたしの大事なイエス」が死なれた痛ましい出来事でした。トマスを含め周囲の人たちにとって大きな衝撃であり、深い痛手であったと想像します。「神の子であるイエス様が、どうしてこんな悲惨な目に合うのだろうか」、「神さまを信じているのに、どうしてこんな目にあわなければならないのだろうか」と思ったとしても不思議ではありません。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」という聖句を受け止め、伝えるには、このような悲惨や別離の体験を踏まえての御言葉であることを踏まえたいと思います。名説教家で知られる竹森満佐一先生がかつてこの箇所の説教を「トマスは立派な人でした」と説教をはじめられたのは、奥深いテキスト理解だと思います。

2)もう一度、復活のイエスがいらっしゃる・・・

▸教会暦でいえば、四旬節を経て、復活祭も終わりました。新学期を迎え、子どもも大人も新しい生活をはじめた人たちもいることでしょう。日常生活の中で「復活祭」は過ぎ去ったかのように感じている人がいても不思議ではありません。また復活祭に参加していない子どもたちもいるかもしれません。この復活後第2主日でこの聖書箇所を通してトマスの復活物語が読まれるのは意義深いことです。もうひとつの「復活の物語」がここに書いてあるからです。「さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、あなたがたに平和があるようにといわれた」(26節)。この一節は、ほとんど先週の福音書箇所、20章19節と同じです。違いは、そこにトマスもいて、他の弟子たちと一緒に真ん中のイエスに出会うことです。これはただトマスへの親切心や配慮からイエス様が「もう一回」復活されただけではないと思います。トマスのためでもありますが、同時にこのトマスを通して、実はほかの弟子たちもまた、イエスの復活が本当は何を意味するのかを学んだのではないでしょうか。つまり復活信仰には「イエスさまが復活された」ということも大切ですが、それは「だれが誰と共に分かち合った」福音であったのかも同じく大切な内容なのです。この疑うトマスもまた復活に触れ合う人なのです。少なくとも、もう一度、同じようにあらわれ、同じように「平和があるように」とお言葉をかけるイエスさまにとって、不可欠な顕現だったように思います。「あなたがたに」を私たちはこの聖句から深く思いめぐらしてみることができるでしょう。私たちは復活の喜びを誰と共に分かちあっているでしょうか。

説教

みなさんは楽しみにしていたテレビ番組を見逃したことがありますか。毎週見ている番組とか、その日にしかしない特別番組とか・・・。前の日まで覚えていたのに、すっかり忘れてしまった。そんな体験がありませんか。急な用事を頼まれたりお出かけしたりして見られなかったり、録画するのを忘れてしまったり・・・いろいろな理由で見逃した体験がないでしょうか。そんなときとても悔しい思いをしたり、残念な思いがします。この気持ちに似た思いをしていたのが、今日のお話にでてくる弟子のトマスさんでした。

みなさんはイースター(復活祭)にイエスさまが復活されたお話を聞きましたか。イエスさまが十字架に架かられた後、お弟子さんたちはとても悲しがっていました。悲しいだけでなく、とても怖くて不安で家に鍵をして静かにしていた様子が伝えられています。最初のイースター、イエスさまが復活してお弟子さんたちのところに来られました。そうしておっしゃたのが、「シャローム!」でした。福音書にも書いてありますが、その意味は「あなたがたに平和があるように」でした。シャロームはその時代の挨拶の言葉でした。私たちの「こんにちは」や「おはよう」みたいな言葉です。でも、お弟子さんたちはこの挨拶の言葉を聞いて、とっても喜びました。もう会えないと思っていたイエスさまにお会いできたからでした。神様の祝福をいただいた時みたいに元気をいただいて、うれしい気持ちになりました。ところがそこにいない人がいました。それが弟子のトマスさんでした。他のお弟子さんたちが「イエスさまが復活なさった」と聞いても、すぐには信じられませんでした。その場にいなかったからです。見逃してしまいました。ところがイエスさまはもう一度あらわれて、最初のイースターのとき、他のお弟子さんたちにいわれたのとまったく同じことをおっしゃいました。それが「シャローム!」、「あなたがたに平和があるように」でした。トマスさんはどんなことを思ったでしょう。他のお弟子さんたちはその場にいて、どんなことを思ったでしょう。大切なのは、イエスさまが最初のイースターにいなかったトマスさんのところにも「もう一度」あらわれて、「もう一度」お言葉をくださったことだと思います。

シャロームという言葉はとっても大切な言葉なので是非、覚えていてください。あいさつの言葉でしたが、とても大切な意味がありました。「みんなが一緒にいることはうれしい、たのしい」そして「神様の祝福と恵みはあなたたちと共にありますよ」とイエスさまがおっしゃってくださっているからです。「おはよう」、「こんにちは」、「ありがとう」、「さようなら」どの挨拶も言う相手があるからいえることです。聞いてくれる相手があるからいえることです。お弟子さんたちがよろこんだのは、イエスさまが共にいてくださることを感じられたからです。イエスさまはその喜びを感じてほしくて、信じられないトマスさんのところにも来てくださったと思います。それはお弟子さんたちだけの話ではありません。私達も同じようにイエスさまがシャローム、「あなたがたに平和があるように」とお言葉をかけてくださっているのだと思います。喜べない人も信じられない人も、その場にいなかった人ともイエスさまは喜びを共にしたいと思われているのです。イエスさまは復活なさいました。そして私たちと一緒に、私たちの友達や家族と一緒に、何度でもうれしいことや喜びを共にしたいと願っておられるのだと思います。教会でいろんな人たちと共に過ごす中で、イエスさまの喜びをわかちあいたいと思います。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□115番 「イースターのあさはやく」

□改訂88番 「イースターのあさはやく」

やってみよう

☆たおれてみよう

二人一組になって、一人の人が支える係、もう一人が倒れる役目になりましょう。

倒れる人は相手の方を見ないで背中からゆっくり斜めになります。相手が受けとめてくれるとい

う信頼をもてれば、きっと倒れることができます。

☆聖書振り返りクイズ

(Lv.1)他のお弟子さんが「わたしたちは主を見た」と言ったのに、信じなかったお弟子さんは誰でしょう?(答え:トマス)

(Lv.2)なんで彼は、信じなかったのでしょう(答え:自分は復活したイエス様を見ていないから)

(Lv.3)26節、8日前って、なにがあった?(答え:部屋にこもっていた弟子たちが復活の主と出会った)

(Lv.4)8日前と26節、何が同じで何が違うでしょう(答え:同じこと→弟子たちが部屋に篭り扉に鍵をかけていたこと/違うこと:8日前はいなかったトマスがいたこと)

(Lv.99)その弟子は「私の主、私の神よ」と口にしています。このように、神様・イエス様をどう信じるかを口にすることを、教会では何と呼ぶでしょうか。(ヒント:(大人の)礼拝の中に、その項目があります)(答え:「信仰告白」)

はなしてみよう

信じるとは、どうすることでしょう。

・日常生活の中で、信じることは、どんなことでしょう。

両親、学校の先生、隣りの人、友だちのことなど。食事や乗り物に乗ったりすることなど。

・それは、本当のことだと深く思うこと

・それはまちがいのないこと

・自分の考えや思いをこえた大きな力にすべておまかせすること

・主イエスさまこそ、真実のお方と信じること

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