2017年1月29日 顕現節第4主日
マタイ4:18-25 イザヤ43:10-13 Ⅰコリント1:26-31

今週の聖句

「イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。」
マタイによる福音書4章19節

ねらい

イエス・キリストが人々を神の国にすなどる働きのために弟子たちを召されたこと、そしてその召しが私たちにも与えられていることを覚えたいと思います。神が人を救い、生かす働きはいつも神の言葉とそれを伝える人々を通して進められてきました。また教会は神の愛を言葉だけでなく、教育や奉仕の働きを通しても伝えてきました。神の国の働きの多様性を考え、各自にできることを考えてみたいと思います。

説教作成のヒント

漁師の働きと、宣教者、教会の宣教の間にある共通性について考えてみてもよいと思います。また兄弟たちが召されたことの意味について考えてもよいと思います。宣教の働きは単なるノウハウやテクニカルな面だけでは成立しないのです。私たちがイエス・キリストの教えに従ってゆくときに、つまりキリストの弟子であり続けるときに宣教者としても育ってゆくのです。

豆知識

・《舟と父親とを残して》という言葉はその前の《網を捨てて》という言葉と同じで「捨てる」の意味です。しかしこれは親を扶養する義務を放棄するということではなく、新しい関係がそれまでの関係より優先される、という意味です。

・弟子たちの召命のいきさつは福音書によって異なっています。ヨハネ福音書ではヨハネやアンデレは洗礼者ヨハネの弟子であり、ヨハネの紹介によってキリストの弟子になったと記されています。弟子としての召命は一度だけのことではなく、いくつかの段階を経ているとも考えられます。

説教

イエス様はガリラヤの人々に神様の言葉を伝えました。でもイエス様お一人ではおおぜいの人に神様の言葉を伝えることはできません。それでイエス様は一緒に神様の言葉を伝えるための弟子をお呼びになったのです。最初にイエス様の弟子になった人たちはペトロとアンデレという兄弟でした。この二人は湖で魚をとる漁師でした。イエス様はこの二人に「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われました。これまでは魚をとる仕事をしていた兄弟たちは、これから魚ではなく、人間をとる漁師になる、というのです。網にかかって舟にあげられた魚は死んでしまいます。でもイエス様に救われた人間は神様の国でいつまでも生きるようになるのです。そして神様が人間をとるために使う網は神様の言葉です。弟子たちは神様が下さった約束の言葉、神様の救いの言葉を人々に伝えるのです。魚が自分では舟に上がれないように、私たちも自分の力では神様のところに行けません。でも神様の救いの言葉が語られるとき、人々に心に神様を愛する心が生まれ、喜んで神様のところに行くようになるのです。

このイエス様の働きは世界中に広がりました。神様から離れて暗いところにいる人たちに神様の愛と救いを伝えるために、神様は小さな私たちも使ってくださるのです。それは何よりも尊い働きです。イエス様は「わたしについてきなさい」と言われました。イエス様のお働きのためには、私たちがまずイエス様に従って、イエス様の教えを学ばなければなりません。また神様の言葉を伝えるためには私たちが兄弟として力を合わせなければなりません。私たちもイエス様のお手伝いができるように、一緒にイエス様に従ってゆきましょう。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□67番 「ペテロは」

□改訂53番 「ペトロは」

やってみよう

☆お弟子さんカードを作って、神経衰弱に挑戦しよう

<用意するもの>

裏移りしない厚手の紙をトランプ程の大きさに切っておく(50枚くらい)

・マジックペンや色鉛筆など

①お弟子の名前を2枚ずつ書く。もしくは、1枚に名前もう1枚に顔でもOK!

②次にメンバーの名前も2枚ずつ書く。もしくは、1枚に名前もう1枚に顔でもOK!(教会の人の名前で作っても良いですね)

③残ったカードに、魚の名前を2枚ずつ書く。1枚に名前、もう1枚に絵でもOK!

④できたら、みんなで神経衰弱をしよう。ただし、メンバーのカードは3点、お弟子カードは2点、魚カードは1点で計算します。ルールは自由に変えてみてください。

※しっかりした紙で作ると、何度も使えます。