イエス・キリストが立派な人々のところにではなく、霊的に貧しい場所から宣教を始めたことを覚え、弱く、罪がある私たちのところにイエス様が来てくださる喜びを伝えたいと思います。
中心聖句である17節の「悔い改め」と「神の国は近づいた」という言葉の意味をどうしたら分かりやすく伝えることができるかを工夫したいと思います。悔い改め」とは罪を悔いることであるが、「向きを変える」という意味でもあります。神様に背中を向けて歩いていた人が向きを変えて神様に向かう様子を説教者の動作によって示してもよいと思います。また「神の国は近づいた」とは、人となられた神の子によって、神の国がすべての人に近づいた事であることも伝えたいと思います。私たちはその恵みの中で悔い改めることができるのですから。
・《イエスは・・・・退かれた》という言葉は「帰った」という意味です(マタイ2:12)。イエスはヘロデの迫害を恐れて避難したのではなく、ヨハネという光を失って悲しんでいるガリラヤの人々のために、ヘロデの支配下にあるガリラヤ地方に戻ったのです。
・ガリラヤは昔アッシリアの支配によって混血し、異教の影響を受けました。それでユダヤの人から「異邦人のガリラヤ」と呼ばれて軽蔑されていたのです。ガリラヤの人々が霊的な闇の中にいたことは、悪霊追放の働きがガリラヤ伝道の期間に集中していることからも分かります。
イエス様はイスラエルの国の北にあるガリラヤ地方で神様のことを伝え始めました。そこは昔、外国に支配されて、本当の神様から離れてしまったときがありました。イスラエルのほかの人たちは神様から遠い人たちだと言ってガリラヤの人々を軽蔑していたのです。イエス様はこのように暗い場所から神様の教えを伝えはじめたのです。暗いところにいる人たちこそイエス様のくださる希望の光が必要だからです。ガリラヤには洗礼者ヨハネを牢屋に入れたヘロデという王がいました。次にイエス様もつかまってしまうかもしれません。それでもイエス様はガリラヤの人たちのために命をかけて神様の国を伝えたのです。
イエス様は「悔い改めよ。天の国は近づいた」と語られました。悔い改め、とは今まで神様に背中を向けていた人が神様の方に向きを変えることです。そして神の国というのは神様がいつも一緒にいてくださるうれしい世界のことです。神の子のイエス様が私たちのところに来てくださったので、神様の国は私たちのすぐそばに来たのです。あとは私たちが「神様ありがとう」と言って神様の国を受け取るだけなのです。どんなにお金があっても、お勉強ができても、神様の国から離れているなら、本当の希望や喜びや安心はありません。だからイエス様は私たちのためにも命をかけて神様の国に招いてくださったのです。一番暗いところに行かれたイエス様は、私たちがどんなに弱くても、どんなに悪い子であっても愛してくださり、「神様ごめんなさい」と言えばその時から神様とイエス様が一緒にいてくださるのです。今日、イエス様が下さった神様の国を感謝して受け取りましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□36番 「しゅイエスのみちを」
□改訂120番 「主イェスの道を」
<用意するもの>
細筆
・墨汁
・半紙(半分に切って、細長にして使います。)
・黒画用紙
・新聞紙
・すずり
・ぞうきん
①みなさんは、書き初めをしましたか?新しい1年の目標は、何ですか?
②今日から、イエス様は神さまの事を伝えはじめられました。このはじまりの時、「悔い改めよ。天の国は近づいた。」という言葉ではじめられましたね。このイエス様の宣教のはじまりの言葉を書き初めしてみましょう。
③書けたら、良く乾かして黒画用紙に貼りましょう。