・ 私たちは新年を祝いますが、新年がめでたいのではなく、イエス様と一緒に新年を迎えることができるので、めでたいのです、ということを伝えたいと思います。
今は昔ほど正月をゆっくり過ごしませんが、子供たちにお正月は何がうれしいのか、どんなことをして過ごすのかを聞いてみてもよいと思います。でも世界には楽しいことばかりではなく、暗いこともたくさんあることも一緒に考えたいと思います。そのような世界の中でも消えることのない光、確かな希望とは何かを、説教者の確信をもって伝えたいと思います。
・当時のベツレヘムの人口から推定すると、殺された子供の数は20~30人ほどではなかったかと言われています。この事件の資料が聖書以外にないのは、ヘロデ王が行ったもっと大きな虐殺に比べれば小さな事件であったから、とも考えられます。
・正教会、カトリック教会では12月28日、または29日を無辜嬰児殉教日として記念しています。キリストのために殉教した、という見方もありますし、ヘロデのもとでの平和と安逸を求めた結果(ベツレヘムの人々はキリストのもとに行かなかった)、そのヘロデによって不幸を被った、という見方もできます。それは後にキリストではなく、ローマの力に頼ったエルサレムがローマによって滅亡することを暗示している、とも考えられるからです。
今日は一月一日。嬉しくて楽しいお正月です。今年もよい年でありますように。でも今日の聖書にはとてもかなしいことが書いてあります。イエス様がベツレヘムの町でお生まれになったとき、ユダヤにはヘロデという王様がいました。ヘロデ王は救い主が生まれたことを聞いて恐れました。新しい王に自分の地位を奪われるかもしれないと思ったからです。それでヘロデ王は東からイエス様を拝みに来た学者たちに「その赤ちゃんを見つけたらぜひ教えてくれ。私も拝みに行くから」と言いました。でも学者たちは神様のお告げを受けて、ヘロデのところには帰りませんでした。怒ったヘロデはベツレヘムの町にいた赤ちゃんを全部殺してしまったのです。でもイエス様のお父さんになったヨセフさんも神様から「エジプトに逃げなさい」というお告げを受けて、遠いエジプトの国にイエス様とマリアさんを連れて逃げました。
どうして何もわからない赤ちゃんが殺されてしまったのでしょう。赤ちゃんを殺されたお母さんたちはどれほど悲しかったことでしょう。でもそれは昔だけのことではありません。今でもこの世の中には人を苦しめる悪の力、暗闇の力、死の力が働いています。苦しんでいる人、悲しんでいる人がたくさんいます。イエス様はエジプトからイスラエルに帰って、やがて十字架で殺されます。十字架につくためにイエス様は赤ちゃんの時には殺されなかったのです。でもイエス様は復活しました。それはイエス様を信じる私たちと一緒にいて、死に勝つ力と悪に負けない力をお与えくださるためでした。神様が私たちにくださったイエス様は、どんな暗闇の中でも消えることのない光なのです。
新しい一年。かなしいことがあっても、いやなことがあっても、イエス様は私たちの消えない光となっていてくださいます。だから今年もイエス様と一緒にあるいてゆきましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□97番 「こころをあわせ」
□改訂18番 「こころをあわせ」
・ヘロデ王はどんな人
・幼児イエスさまとマリヤとヨセフは
・エジプトへ逃れたこと
・エジプトからナザレに帰ったこと
・ヨセフは、神さまの言葉に従いましたね。どうしてだと思いますか。また、もし、神さまの言葉に従わなかったら、ヨセフ達はどうなっていたでしょう。
・あなたは、神さまにすべての信頼をおいて生きることができますか?それは、どんな人生になるでしょう?話してみましょう。