・ヨハネ1章は、やや難解ではあるが、テキストそのものの私たちの心に訴えてくる力はたいへん強い。わたしたち、弱さを抱えた人間の現実の中に、神の言であるキリストが宿ってくださった。このクリスマスの喜びの本質を、できるだけ子どもたちの現実に即して伝えるようにしたい。
・「言」と訳された言葉は、ロゴスというギリシア語である。これはギリシアでは「言語」という意味の他にこの宇宙を貫く摂理を指し、神そのものとも同一視される。ヨハネは、そのロゴスが人格を持って、私たちの間に宿られたという。神のロゴスであるイエスが、わたしたちと共に生きるために、私たちの間に宿ってくださった。この方のいのちの中に、神の輝きが現れている。これはヨハネ全体を貫くメッセージである。
・現存する最古の日本語訳聖書であるギュツラフ訳のヨハネ福音書では、1:1を「ハジマリニカシコイモノゴザル」と訳した。「カシコイ」とは、うまくことばにすることはできないが畏れ多い、人知を超えた偉大なものを示す。私たちの思いを超えた大きな大きな方が、小さな小さな赤ん坊として私たちの間に宿られたこと、そこに神の奇跡がある。
・聖書をギリシア語からケセン語(岩手県ケセン地方の方言)山浦玄嗣氏は「言」を「神の想い」と訳した。言葉は思いを伝えるもの。キリストが世にこられたことは、神の思いの表れなのである。
クリスマス、おめでとうございます!やっと、この日が来ましたね。昨日のクリスマスイブはどうでしたか?教会に来た人もいたかもしれませんね。やっとイエス様のお生まれをお祝いできます。でも、さっき読んだ聖書には、赤ちゃんのイエス様は出てこなくって、不思議な言葉が出てきましたね。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」
この「言」ってなんでしょう。実は、イエス様のことです。イエス様が「ことば」?とても不思議なことが言われていますね。少し、「ことば」ということについて考えてみましょう。皆さんは、最近、どんなことばを使いましたか。いい言葉?よくない言葉?優しい言葉?人を傷つける言葉?言葉って、いろいろな使い方ができますね。言葉って、自分の気持ちを相手に伝えてくれる、とても大切なものなんです。そして、イエス様は神様の「ことば」なんだって聖書は言うんです。
神様は、わたしたちに、特別な「言」をくださいました。それがイエス様です。イエス様が「言」???と、不思議に思うかもしれませんね。しかし、そうなのです。神さまがわたしたちに与えてくださった言が、イエス様なんだよ、と今日の聖書はわたしたちに教えてくれているのです。
「ことば」はその人の気持ちを伝えます。イエス様は神様の「ことば」です。つまり、イエス様は神様の「気持ち」なんだということです。イエス様は、神様の気持ちをあずかって、私たちのところに来てくださったのです。
イエス様のお誕生の知らせを、いちばん最初に聞いたのは、寒い中を野原で羊の番をしていた羊飼いさんたちでした。羊飼いさんたちにとって、天使さんからのイエス様のお誕生の知らせは、「こんなに寒い中で野宿をしている自分たちのことも、神様は見てくださっているんだ」「神さまは、僕たちのことも救ってくださるんだ」という、とっても嬉しい「ことば」でした。イエス様は飼い葉おけの中に、ちくちくするわらのベッドにお生まれになりましたね。そのイエス様のお姿は、イエス様を贈ってくださった神さまからわたしたちへの「ことば」です。この赤ちゃんイエス様をとおして、神様はわたしたちに、「あなたが暗かったり、寂しかったりするところにいるときでも、わたしはあなたと一緒にいるよ」と話しかけてくださっているのです。イエス様は、神さまがわたしたちに神様の気持ちを伝えるために送ってくださった、神さまからの「ことば」、とはそういうことなのです。
だからわたしたちは今日、イエス様を送ってくださった神様に感謝して、クリスマスをお祝いします。そして、わたしたちだけが喜ぶのではなく、「いま、苦しい思いをしている人、寂しい思いをしている人たちのところに、本当のクリスマスの喜びがやってきますように」とお祈りをしたいと思いますし、わたしたちも、その神さまの気持ちをいろんな人に伝えるために、何ができるか考えていけたらいいですね。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□28番 「もろびとこぞりて」
□改訂67番 「羊飼い群れを」
・小さな村の家畜小屋の中の大きな喜び
・最も貧しい羊飼いたちが一番先にお祝いした。