・主の到来を迎えるということは、神の言葉と真剣に向かい合う、ということでもある。アドベントは、神の前の自分の姿を見つめなおすときなのである。
・キリストを私たちの中に迎えるということは、神様からの「立ち帰れ!」というメッセージを受け入れることである。神に立ち帰ろうとするとき、わたしたちは神の裁きの前に、取り繕わない自分の姿をさらけ出すことになる。しかしそこで、わたしたちは罪人を憐れみ、救い出してくださるためにこの世へとやってこられた神の恵みと出会うのである。
・「荒れ野」は旧約聖書の時代から、神と出会う場所だとされてきた。荒れ野は旧約聖書の古代イスラエルの民が、モーセによるエジプト脱出の際に40年間さまよった場所でもある。その間、イスラエルは神に何度も反抗し、罰を与えられることもあったが、神はイスラエルが約束の土地に入るまで、離れることなく導き続けた。
先週から、「待降節」という季節を迎えています。クリスマスを迎える準備をするときですね。もちろん、楽しい準備もたくさんあります。プレゼントを、みんなはもらうことの方が多いかもしれませんけど、お友達やおうちの方に、何をあげたら喜ばれるかなあ、というのも考えてみたらどうでしょう。考えている時間もきっと楽しいはずです。クリスマスの準備は、楽しいことがいっぱいです。
楽しい準備のほかにも、大切な準備があります。それは、イエス様に来ていただく前に、私たちの心の大掃除をすることです。クリスマスが終わったら、大掃除もありますね。お掃除は好きですか?きれいになるのは嬉しいですけど、少しめんどうだったりすることもありますね。今日の聖書の言葉は、ヨハネさんという人が、イエス様が来る前に「あなたたちは神様に心のお掃除をしてもらわないといけないよ!」と教えてくれているところです。
「火」ということばが出てきましたね。「火」は好きですか?暖かくて嬉しいと思う時もあるかもしれませんけど、でも、火はときどき怖いですね。「火」というのは物を燃やしてしまうので、悪いものを滅ぼしたり、よくないものをきよめたりする働きがあるとも言われていました。ヨハネさんはそうやって、イエス様をお迎えする前に、心の中を火で燃やしてお掃除しなさい、と言ったのです。
わたしたちの心は、いつも良い状態ではありません。誰かに意地悪をしてしまったり、だれかを悲しませてしまったり…心のお掃除をしようとするとき、わたしたちは自分の心の中に、冷たかったり、ときどき意地悪だったりと、あんまり知りたくない自分の気持ちを見つけてしまいます。
でも、その心にわたしたちはイエス様をお迎えします。ヨハネさんやイエス様の言葉が、わたしたちの心をちくちく刺すときがあるかもしれません。でも、わたしたちの心がいたいということは、それは私たちの心に、イエス様が入ってきてくださっているというしるしでもあるのです。「さあ、いっしょにお掃除しようか。私がやってきたから、もう大丈夫だよ」わたしたちは、クリスマス、ただイエス様をお迎えするのではなくて、わたしの心の中にイエス様に新しく生まれていただくのです。
私たちの心は、冷たかったり、きれいでなかったりして、イエス様をお迎えするのにふさわしいところではありません。しかし、そんなわたしたちと一緒に生きるために、イエス様はわたしたちのところに生まれてきてくださったのです。そのイエス様を喜んでお迎えするわたしたちでありたいですね。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□57番 「しゅよわたしをあわれみ」
□改訂65番 「主を待ち望むアヴェント」
・「悔い改める」とは、どういうことでしょう。
・「悔い改め」はルーテル教会の礼拝の中では、毎週、罪の告白「神さまごめんなさい」と言いますね。「悔い改め」は、私たちにとってなぜ大切なのでしょう。
・神さまと私たちをつなぐ道をまっすぐに整えて、イエス様のお生まれを待つには、どうしたらよいでしょう。