2016年10月30日 宗教改革主日
ヨハネ2:13-22 列王記下22:8-20 ガラテヤ5:1-6

今週の聖句

「この神殿を壊してみよ。三日で建て直して見せる。」
ヨハネによる福音書2章19節

ねらい

・人中心ではなく神中心の生き方を考える。

・イエスさまが喜ぶ「信じる」ということは、献金をたくさんささげるとか、善い行いをするとか、人間の側の行為(人中心)に関係するのではなく、ただ「神さまが私たちを愛しておられる」というイエス様の思いを受け止める(神中心)ことだということを知る。

・そして、その思い受け止めるということは、聖書の言葉を聞くことに通じるという発見をしたルターをおぼえる。

説教作成のヒント

・イエスさまの怒りの理由を考える。

・私たちがルール(法律や遊び等含めて)を決める時の理由やプロセスを考え、教会のルールとの違いを比べ、神中心と人中心の違いを知る。

豆知識

・過越祭はユダヤ人にとって最も重要な祭りの一つ。先祖たちがモ-セによってエジプトの奴隷から解放されたことを記念する祭りで、各地から多くの人々が集まった。

・神殿の境内とは神さまを礼拝する建物を含む敷地全体を言い、またその神殿で礼拝する前の心の準備と身支度をする空間であり、また互いの情報交換の場でもあった。

・当時の習慣として、律法の規定により神殿に入るには奉げ物(生け贄)が必要であった。

外国や遠方から来た人たちには、生きた動物を連れて来るのが大変なために出発地現地

で動物購入証明書を持参して、これを神殿境内で動物と交換する制度があった。

説教

みなさんは教会に来るときに何を持ってきますか?聖書?讃美歌?あとは…?献金ですね。

イエス様の時代、イスラエルの人たちは神殿に行くとき、神さまへの捧げものとして、献金や動物を持っていきました。でも遠くからくる人や、外国で暮らしている人たちのために、神殿には動物を売っている人や、外国のお金をイスラエルのお金に両替してくれる人たちがいました。その人たちがいるおかげで遠くから神殿にやってくる人は、ただでさえ旅行の荷物で手一杯だったのでとても助かりました。神殿の人たちも手ぶらでこられても困るし、エルサレムで使えない外国のお金をもらっても困るので大助かりでした。

でも一人だけ、これに腹を立てる人がいました。そう、それはイエス様です。イエス様は神殿にいくと、縄で鞭を作り、羊や牛を神殿の境内から追い出し、両替人のお金をまき散らし、その台を倒して「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない」と言いました。そう、とても怒っていたのです。

みなさんは何故イエス様が怒ったんだと思いますか?機嫌が悪かったから?昨日嫌なことがあった?誰かに悪口を言われた?残念ながら全部はずれです。イエス様は怒っていたのですが、機嫌が悪くて怒っていたのではなく、悲しくて怒っていたのです。なぜなら神殿にいた人は、動物を売っていた人や両替をしていた人だけではなく、手ぶらで来ている人や、両替をしていた人、またその人たちに場所を貸していた神殿の人たちも、みんながみんなが、自分のことばかり考えて、誰も神さまのことを一番に考えていなかったからです。イエス様はここで「この神殿は誰のための神殿ですか?神殿で働く人のための神殿ですか?両替人のための神殿ですか?お祈りにくる人たちのための神殿ですか?全部違います。この神殿は神さまのための神殿です。神さまにお祈りするための神殿です。神さまに感謝をするための神殿です。神さまのための神殿であって人間のための神殿ではありません。神殿は人間の都合であったりなかったりするものではないのです。」と言っているのです。

今から499年前、イエス様と同じように「教会は人間の都合のためにあるものではありません、神さまのためにあるものです」といった人がドイツにいました。当時教会は建物を建てるためにお金が必要となり、持っていたら救われるというお札を売っていました。まさに、人の都合で神さまを利用したのです。その人は「それは間違っている!」と当時の教会の人たちに訴えました。残念ながらその訴えは聞き入れられず、その人やその人と考えを同じにする人たちがグループを作りました。そうです、そのグループが「ルター派」というグループで、ルター派とはルターの仲間という意味です。その人の名前はマルチン・ルターという人です。教会にも大きいマルチン・ルターの顔が書かれたバナーが貼ってありますね。

ルターさんは言います、自分ではなく神さまを自分の中心に置いて物事を考えなさい、行動しなさいと。みなさんは教会に来るときどんなことを考えますか?「教会にいってあれをしよう、これをしよう」という考えも大切ですが、どうぞ最初は「今日は教会でどんな神さまの話を聞くんだろう?神さまは何て言うだろう?」と考えてください。それこそがイエスさまの思う「神さまの家」の在り方です。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□4番 「けさもわたしの」

□改訂115番 「この花のように」

やってみよう

☆教会でお金を儲けようとするとどうなる?

<用意する物>(厚紙で作ったお金・・・みんなで作ってもよい)

①教会にはいろんな人が(働いている)いるけどどんな人いる?「牧師さん」「お昼ごはんを作っているおばさん」「教会学校を手伝ってくれるお兄さんお姉さん」「玄関を掃いてくれたおばあちゃん」「門の所の木の枝を切っていたおじいちゃん」と子ども達に言ってもらう。

②朝から教会で働いている人にお小遣いをあげてこよう。それそれお金を手に働きに対して賃金を支払う。

③前もって教会にいる方に賃金をもらったら「こうするからもっとお金ちょうだい」とお金儲けの為の演技をしてもらい賃金を沢山貰うように頼んでおく

④お金を配り終わった子を集め、お金をもらった大人も呼ぶ。お金をもらった大人同士で貰った金額の事で喧嘩をしてもらう。

⑤いつも仲良く教会のお仕事している人達がお金を儲けたとたん喧嘩になったね。どうして?なんでいつもお金貰わないで働いているの?

⑥信徒の一人に神様の御用の為に働くことが嬉しいのだよという話をしていただく。

話してみよう

「商売の家としてはならない」とおっしゃるイエス様。では、どのような神殿(教会)であれば良いと思われたのでしょうか。

私達はどのような教会を作っていけばよいでしょうか。